2011年05月31日

自治体の役割

 福島県内の自治体で、独自の動きが出てきた。とくに紹介したいのは、二本松市の三保恵一市長が、全市民へのホールボディカウンターによる放射線量調査を実施すると決めたことである。
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1071
 県外の施設で検査…というのは、「県内では放射線のバックグラウンド値が高すぎて正確な測定ができない」という意味であろうから、そのこと自体が、線量調査実施の必要性を裏付けるものである。しかも、その結果によっては「子ども(の避難)だけでなくて、私は、あらゆる事態に対応できる、即応できる、その準備をしています」ともいう。こういう動きが県内から出てきたことは、非常に嬉しい。
 自分でものを考え、それを住民に説明し、合意を得、実行に移す…ということは、当然のように思われるが、実際には、なかなか大変なことである。彼は、インタビューの中で、噛みしめるようにそのことを語っている。県の健康リスク管理アドバイザーの山下俊一長崎大学教授の発言に触れて、彼は、次のように述べている。
 その(山下氏の講演の)なかで、たいへん気になったことがありました。それは、この放射能について、政府が、国が決めたことについては、それを守っていくのが国民の義務である、という趣旨の話を、何度も強調されておりました…(4分30秒あたり)
 大事なことは、国が、政府が、ということではなくて…国民が、私は、あらゆる判断・行動の基準でなくてはならない…。どう、放射能から市民や県民や国民を守っていくか、ということが問われている…(8分あたり)

参考:
「20mSvという国の基準が出された以上は、我々日本国民は日本政府の指示に従う必要があります」(http://www.veoh.com/watch/v20982386Rr6ppAnz6分あたり)

 これが「自治」というものであろう。三保恵一市長の決断と、このような市長を選んだ二本松市民に敬意を表したい。正直にいうと、原発事故後の県内の自治体の動きには苦々しいものを感じていた。10年ほど前には、三春町の伊藤寛町長(当時)や、矢祭町の根本良一町長(当時)など、全国に名をはせた「自治の担い手」がいた。その個別の政策については言いたいことがないでもないが、少なくとも、国の方針とは別の形で「町の行く末」を描き、全国の注目を集めていた。彼らなら、どのような対応をしたであろうか(三春町では、県内で唯一早い段階でヨウ素剤を住民に配布したと聞くが)。また、本県には、一時的にではあるが、福島原発の運転を認めず、国策に真っ向から対立していた知事がいたことも記憶に新しい。
 事故後、福島県はじめ県内自治体の多くは、政府に「基準を示せ」「早急な対応を」と要求し続けていた。つまり、住民を守る「基準」や、「早急な対応」は、自分たちの問題ではないと考えていたふしがある。自分たちの手に余る問題だったことも事実であろう。しかし、そうであったとしても、原発事故への迅速な対応を期待されていることに変わりはない。
 住民への影響が長期化の様相を呈してきたことも相まって、自治体は、独自の対応を迫られる局面が多くなってきた。郡山市や伊達市では市の負担で、福島市ではボランティアで運動場や園庭の除染が実施された。
http://www.city.koriyama.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=23278
http://www.city.date.fukushima.jp/groups/education/hyodojokyo
 建前や形式で議論すれば、市や個人の負担で除染しなければならない筋合いのものではないが、さりとて子どもたちを放射線から一刻も早く守るためには、やむを得ない処置であったに違いない。文部科学省は、子どもも年間20ミリ・シーベルトまでは放射線を浴びても大丈夫という立場だったからだ。原子力安全委員会が「子どもに20ミリ・シーベルトの基準を適用することは認められない」と発言しても、ついにこのスタンスを変えなかった。
http://www.youtube.com/watch?v=6H7XV5hHPQ4(1分30秒あたり)
 当の郡山市で、土壌を運び込もうとした処理場付近の住民と市の間でトラブルが発生したことは周知のとおりである。郡山市の内部で対立を招いたという事態は、不幸というほかない。どちらも被害者だというのに。ともあれ、「市独自の策として運動場の除染をする」という原郡山市長の英断には敬意を表したい。福島市では、4月中旬以降、保育園の保護者やボランティアなどが、各地で校庭・園庭の除染活動を開始した。作業時に被曝しないようにするためのマニュアルも作られてきている。放射性物質を体に付着させたり吸引したりしないような工夫が必要であるとのことだが、最近では、ホームセンターに不織布でできた使い捨ての作業着(つなぎ)が並ぶようになった。購入する人が増えたからであろう。私も使ってみたが、実に便利である。帽子の部分には紐が、手足の部分にはゴムが付いている。1着300円弱だから、財布にも優しい。むろん、それでもレシートは保管し、あとで汚染者に請求するのが筋ではある。
 5月27日になってようやく、毎時1マイクロ・シーベルト以上の運動場の除染を文部科学省の責任と負担によって実施すると発表されたが、これも、地元の、独自の動きがあったからにほかならない。官房長官の枝野氏は「除去の必要はない」と言っていたのだから。
http://www.youtube.com/watch?v=QjIC0OY1ogY(4分40秒あたり)
 こうしてみると、今回の原発事故の経験は、いくつかの知見を私たちに示している。地方自治体が住民の生活を守るためにできることは案外多いということである。これまでの取組についてはここで繰り返さないが、今後、独自の動きが広がることを期待したい。

 ここからは余談である。削り取った表土の扱いは、今後、問題になると思われるが、一案を提示しておきたい。といっても、これは私が考案したものではない。京都から住民自身で除染を実施するためのプロジェクトで福島に来訪した、エントロピー学会会長の山田國廣さんが主張されている方法である。彼によれば、福島第一原発では、今後、次なる津波の被害を避けるために、延長10kmの堤防を築かなければならないということらしい。この堤防の中の盛り土として、汚染した表土を使えばよいのだという。もちろん、外部に漏れだしては困るので、コンクリートで固める必要があると思われるが、たしかにその工事には大量の土砂が必要になるはずだ。私には技術的に可能なのかどうかはわからないが、専門家のご一考をお願いしたい。
posted by あるじ at 08:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月27日

学長からの「意見と要望」に対する回答

 昨日(0時を過ぎたので、もう一昨日になってしまった)、思いがけず、学長から「意見と要望」に対する回答が届いた。内容は下のリンクからご確認いただきたい。

kaitou.pdf

 導入の部分について、原文を書面で直接届けなかった非が荒木田にあるのは事実で、この点の落ち度は認めたい。とりまとめに手間取り、時間外になったため、直接窓口に伺うのはかえって失礼かと思ったのが原因だった。しかし、書面で届かなかったことが「回答書の体裁をなしていない」こととは関係がないように思うのだが…   以下、略。それが本題ではない。

 さて、肝心の内容であるが、「意見に対する回答」の意見聴取に関する部分では、根本的な誤解がある。まず、私たちが問題にしていたのは「数日決定を遅らせれば、教員会議での意見を反映させられたはずなのに、それをしなかった」ということであり、それは、「教員会議における授業再開への否定的な意見を意図的に排除するもの」という疑念を払拭できないということであった。この点については依然として言及がない。「教員の出勤状況」云々も言いがかりで、意見聴取をする気になれば方法はいくらでもあったはずである。また、各学類の危機対策室の意見を容れていたかのように説明しているのも事実に反する。少なくとも、行政政策学類の新旧学類長が苦労して作成し数回にわたって全学に提出された要望書は、事実上、握りつぶされた。それを否定するなら、ここにその文書群を証拠として挙げてもよい。3月末、4月に学内で授業再開についての懸念が強く示されていたことの証明にもなるからである。全学執行部は、学内にそのような懸念があることを、むしろ外部に知られたくなかったのではなかったか。行政政策学類の教員会議では授業再開に慎重な意見が多く示されたし、経済経営学類では授業再開に賛意を示す意見は皆無であったと聞く。結局、そのような意見を執行部が判断の際に考慮することはなかった。「史上最大の災害を克服していくために、福島大学としてできることを全て実施して、構成員が一体となり総力を挙げて対応する覚悟です」という学長メッセージ(3月25日)に明らかなように、全学一致で「福島大学の復興」をアピールしたいという姿勢だったからである。だからこそ、私たちは「公開質問状」を作成せざるをえなかったのである。学内にも多様な意見がある、と。事実を歪曲して正式な文書に残すことは看過できない。

 今後については、学生の参加も含めた「三者自治で」と明記しているので、この点について言うことはない。ただし、「外的条件や財政状態など総合的に判断」という一文を滑り込ませている点には注意が必要であろう(後述)。

 「要望に対する回答」について、重要だと思われるのは、4.で「大学としては、これまでも被ばく放射線量は少なければ少ない方が健康上良いという立場です。汚染状況の公表及び除染対応並びに健康管理の実施策を通じて、長期的には年間1mSv 以下になることが望ましいと考えております」と明確に述べていることだ。永幡さんが自身のHPで指摘するように、「長期的には」ということがどの程度のタイムスパンなのかという重大な問題はある。それでも、「年間1mSv以下」と目標値を明示したこととは、今後における大学の対応の指針になるはずで、大きな前進だと思われる。

 問題は、それをどのように具体化するかという点であるが、これについては、甚だ心許ない。モニタリングや長期的な健康管理は当然としても、とりわけ大切なのは「被曝量を減らす」ということである。どれだけ早く、いかにして被曝線量を減らすか。私の記憶では、5年ほど前の学長選挙の際に、現学長(当時は候補)は、大学の意思決定や実行が遅いということを問題視していた。そのわりには、今回の対応はどうだろうか。拙速であっては困る局面では迅速な対応をし、迅速に対応しなくてはならない局面でそうではないように思えてならない。
 キャンパスの除染は、財政的裏付けを得るまで待っている場合ではないと思う。フジテレビの今朝のニュースで、高木文部科学大臣は「私どもは平常の活動をして差し支えないと思っておりますので」と語っており、「安全は私たちの今の考え方によって大丈夫」という立場である。そのような状況下において、大学が動かない段階で財政的裏付けなど与えられるはずがない。
http://www.youtube.com/watch?v=jjHPszxxAQ4
(小山良太さんに教わったものだが、削除されるかもしれない)

 大学が危機意識をもって現状打開に立ち上がってはじめて、本省を動かすことができるのではないのか。現場が暢気な対応をしていて、大臣以下、文部科学省が福島大学のために態度を急に変えることなど、どうして期待できようか。この点について、学長以下執行部が、構成員の被曝線量減少のためにどういうリーダーシップをとっているのか、残念ながら、私にはまったく見えない。「お金がないから〜できない」というスタンスから「〜するためにお金を措置させる」というスタンスに変えない限り、事態は前進しないだろう。

 7.に書かれた部分は、前回の「回答」からはむしろ後退に思われる。ここで「安全上の理由から通学を望まない学生」への対応は「学類毎に個別に対応」とされているが、「学類毎に」という文言が書き加えられている。行政政策学類と経済経営学類では、単位互換提携校以外の大学で認められた単位も卒業単位として認定することに決まった。しかし、人間発達文化学類・共生システム理工学類の学生はその限りではない。前回の「回答」は、人間発達文化学類や共生システム理工学類の学生にも「個別に対応」するかのように読めたが、今回は「学類毎に」として、その道をふさいでしまったように見受けられる。

 「安全な場所への教室移動」も、「大学機能」という不思議な言葉を用いて否定している。大学生活が講義だけでないことはいうまでもない。そんなことはわかっている。私たちが問うているのは、何に優先順位をつけて事態に対応するのかということであり、つまるところ、大学が守ろうとしているのは何かということである。

 事務部門も含めた全体の「移動」ができないことを理由に「教室の移動」もできないというスタンスで対応するのか、たとえ、事務部門が移動できないとしても若い学生の健康を守るために「教室の移動」は可能だというスタンスで対応するのか、ということを問うているのである。しかも、大学全体を移動せよと主張しているわけではないし、希望しない学生まで「教室の移動」に付き合わせようと主張しているのでもない。そういうオプションも準備することを認めてほしいと言っているのである。だから私たちは再三「多様性」を強調しているわけである。



おまけ:今日は毎日新聞のもの
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110525k0000m040135000c.html
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110525ddm003040061000c.html
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110516dde012040013000c.html
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110523ddm013040002000c.html

「行方不明」の学長メッセージは、ここにある
http://www.fukushima-u.ac.jp/kinkyu/gakutyou-message.html
posted by あるじ at 00:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月25日

もしも、あのとき…

 学長宛に「意見と要望」を送って以降、先方からは何の連絡もない。私たちは、学長以下執行部が対話姿勢を見せたことを高く評価したが、少々リップサービスが過ぎたようだ。学内の様子も相変わらずで、世界に向けてキャンパスの様子が放映されたとしても、ここが、かの福島だとは思わないであろう。危機感も放射線と同様、目に見えないからだと思いたい。ともあれ、ここしばらくが正念場だと思う。

 そうは言ってみたが、原発事故で、心身ともに疲れ果ててしまっているし、新しいことに向き合う気力も湧いてこない。いろんな計画が白紙になり、人生を滅茶滅茶にされた、というのが正直な気持ちである。


 今でも後悔していることがある。ある同僚のパートナーは、福島第一原発3号機で実施されることになったプルサーマルに反対して、暑い夏の日も、雪降る冬の日も県庁前に座り込んでいた。仕事柄、県庁に行くことの多かった私は、遠目に眺めながら、それに加わることはなかった。だから、私は心から自分が「被害者」であると公言できない後ろめたさがある。たまたま、福島原発40周年の節目に、「原発を廃炉に」という集会が準備されていた。彼女はその集会の主催者だった。しかし、震災と原発事故のため、3月26日に予定されていたその集会が実施されることはなかった。

 3月末、福島県内の小中学校の授業再開予定日が報じられた。そのとき、線量計をもって県内の小中学校の放射線量を測定するために立ち上がった人がいた。自らが集めた測定値を突き付けて、授業再開の延期を申し入れたのである。そのときも、家族を県外に避難させていた私は、その活動に加わることに躊躇した。おそらく「偽善だ」と言われることを直感的に避けたのだと思う。冷静に考えれば、家族を避難させることと、学校の再開延期はまったく矛盾する行動ではないが、それでも他の人の目を気にしたのである。矢面に立つのはしんどい。

 その後、1ヶ月ほどして、大学の授業再開が日程に上った。「小中高校が授業しているのに、大学が始めないなどということは理由が立たない」というのが、おおかたの風向きであったように思う。昔、高校時代に聞いたマルティン・ニーメラーの言葉を思い出した。気がついたときには遅かったのである。

 かの同僚夫妻の娘と、先頭切って線量を計測した人の息子と、私の息子は、同じ保育園の園児であった。不思議な縁である。



フランスから届いた今日のニュース(なぜかオーストラリアから)
http://www.news.com.au/breaking-news/watchdog-warns-about-fukushima-plant/story-e6frfku0-1226062264646#ixzz1NHFMRGMu
(こちらは、The Times of India)
http://timesofindia.indiatimes.com/world/rest-of-world/70000-more-should-evacuate-after-Fukushima-Watchdog/articleshow/8556684.cms

NHKによる別のニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20110524/1930_saiaku.html
posted by あるじ at 00:40| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月21日

優先順位考

 このところ、のどが痛い。ものを飲み込むのにも難渋している。除染の予備作業をした翌日からというのは偶然だろうが、それでも気分のいいものではない。

 さて、この除染予備作業のときに、「アメリカの研究者から、原発事故後に福島で走っていたクルマのエア・フィルターを提供してほしいという依頼があって、このクルマから外すんですよ」という話を聞いた。このブログでも何度か紹介したアーノルド・ガンダーセン氏からの依頼だそうで、なんと世界は狭いものかと驚いた。
 逆にいえば、そのような調査を、個々人のネットワークで行わなければならないという事態であることを示している。住民の命や健康に関わる問題である。なぜこれを国や地方自治体で調査しないのかと思う。理由は単純で、表向きには現状が「安全」だということになっているからである。「じつは、あのころは危険でした」という情報は、取り返しのつかない段階で発表される。

 今日の『毎日新聞』の記事である。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110521ddm041040107000c.html
 このニュースから読み取れるのは、3月11日以降に「福島第1原発を除いた」全国の原子力施設で、作業員から内部被曝が見つかったケースが4,956件あり、うち4,766件はその作業員が事故発生後に福島県内に立ち寄っていたということである。つまり、原発事故後に福島県内に滞在し、他の原発に働きに行き、たまたまホールボディカウンターで検査したところ、被曝が発覚したという話であろう。
 福島第一原発で働いたかどうかは検査の前提になっていないこと、内部被曝のみつかった作業員の96%が事故後に福島県内に滞在していたこと、2度目の調査で基準値以下に数値が下がった人もいること、などを考慮すれば、内部被曝の原因が今回の福島第一原発の事故によるものであること、原発外にも被害が広がっていただろうことは容易に看て取れる。
 さらに驚くのは、「周りのほとんどは検査を受けていない。特に20代の若手が不安がっている」という作業員の発言である。被曝検査を受けさせずに作業させる例もある、というよりも、そちらの例の方が多いという。これが事実とすれば、被曝検査も徹底せずに高線量の原子炉で作業させていることになる。チェルノブイリ事故の際の「リクビダートル」を想起させる。
 世論がまともなら、近日中に作業員に対する検査が実施されることになるであろう。しかし、おそらくそのような「検査」は、被曝の実態を正確には反映しない。記事の末尾にあるように、放射性物質は時間とともに「排せつ」されるからである。当該作業員からすれば、後に放射線が原因での疾病が発生したとしても、(現段階の技術で)それを証明するデータを永遠に失ってしまうことを意味する。その意味でも、放射線問題は時間との戦いである。

 ここで、「作業員は大変だね」という話をしようというのではない。こうした事態が原発内部でだけ発生していると考えるのは困難であり、自分たちの問題だということが言いたいのである。もはや「5重の壁で安全」などということを信じる人もいないであろうが、建屋は見てのとおり、格納容器はおろか、圧力容器にも穴が開いていることがほぼ確実である。窒素や水を充填しているのに圧力が上がらないのだから、計器の故障を除けば、ほかに解釈の余地はない。毎時18トンの水を注入し続けられることからしても、ほぼ間違いない。しかも、昨今のニュースでは、1号機では3月12日にすでにメルトダウン(炉心溶融)が起こっていたのだという。
 たしかに、当日午後2時に原子力安全・保安院は、メルトダウンの可能性を示唆していた。
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819595E3E0E2E39C8DE3E0E2E1E0E2E3E3958AE3E2E2E2
 しかし、その1時間半後に発生した1号機爆発以降、原子炉の危険性を語るスポークスマンはいなくなった。

 福島県は、事故の翌日に30枚の地図を含むSPEEDIの予測データを受け取っていながら、これを公表していない。
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4107&blockId=9839767&newsMode=article
 「市町村の避難の参考になったかどうかは分からない。もし、市町村が必要とする情報だったとすれば、反省すべき点だった」というコメントには目を疑った。住民の生命や安全を何だと思っているのか。放出源情報を欠いたとしても、どちらの方角に風が流れるかを示せば、市町村や住民としても対応のしようがある。

 この話には前段があって、政府が5,000件にのぼるSPEEDIのデータを公開していなかったことがことの発端であった。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110503k0000m040079000c.html
http://www.asahi.com/national/update/0504/TKY201105040273.html
 2ヶ月近くも経ってから「今さら」という発表がなされ、しかも、これまで公開しなかった理由について「パニックを恐れた」と説明する。逆にいえば、「パニックを起こすこと」よりも「現地の人々を犠牲にすること」を選んだということであろう。首相の掲げたマニフェストが「最小不幸社会」だというのも悪い冗談のようだ。



おまけ:
 3月の報道をもう一度点検してみると、改めて発見することが多い。
http://democracynow.jp/video/20110317-1
posted by あるじ at 23:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月18日

送付した「意見と要望」

 遅ればせながら、5月10日に大学側から届いた「回答書」に対して、仲間たちの「意見と要望」をとりまとめ、ようやく今日の夕方、学長に宛てて送付することができた。賛同者が増えていることにご注目!

iken.pdf

 決して一人だとこういう文章にはならない。その意味で、多くの人が集まって何かをやることの意味というものを再認識する機会であった。そして、そんな仲間に恵まれたことを、本当に幸せだと思っている。

 さて、今日は、福島市内で汚染土の除去や汚染物質の除去についてモデルケースを作って、それを広く住民たちの手で実行しようとする取り組みに参加してきた。チェルノブイリ事故時の基準で言えば、福島市はもちろん、東京でも高濃度汚染区域に当たるそうで、早急(梅雨前)に手を打つ必要があるということであった。行政や事業主の対応を待っていては取り返しのつかないことになる恐れがある。
 この活動のリーダーは、「究極の目標は、原発事故以前の数値に戻すことだが、1mSv/年まで下げられればいい」と語っている。困難な途だが、試験的な取組が成果をあげれば、除染に向けた活動が大きく動くようにも思う。梅雨前に活動が軌道に乗ることを願ってやまない(他方、福島市は、一斉清掃を梅雨明けまで延期するよう求めている)。
http://bousai.city.fukushima.fukushima.jp/info/h23-jishin/sonota/isseiseisou.html/view

 放射線測定のためのNPOも調査に参加していた。その方(測定のプロフェッショナル)からは、「学生グループに、測定器を数台貸し出すので、定点観測を協力してもらえないか」という依頼があった。放射性物質の分布には濃淡があるが、そのホット・スポットと呼ばれる高濃度の汚染箇所を見つけることや、町内会・自治会ごとの汚染地図のようなきめの細かい調査を実施する戦力が必要だという。もちろん、作業は安全第一で進めることが大切で、そのためのノウハウの伝授もしたいと語っていた。

 「どういうスタンスで事態に臨むか」ということが、行動を大きく方向付ける。私自身は右顧左眄して足がすくむタイプだが、「少しでも放射線を減らすためにやれることをやだけだ。ほかに何がある?」と聞かれれば、返す言葉はない。ことは時間との戦いでもある。試行錯誤しながら進むことにした。

 それにしても、同じようなことを考えている仲間が案外多いというのは、意外な発見であった。
posted by あるじ at 02:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月16日

「意見と要望」のとりまとめ、ほぼ終了

 学長から届いた「公開質問状への回答書」に対して、私たちの仲間で「意見と要望」をとりまとめて学長に再度送ることになった。遅まきながら、ようやくその意見集約をほぼ終了して、明日の昼ころに先方に送る予定になっている。最終文書は、送付後にここにアップロードする予定である。


 「意見と要望」はいろいろな人の意見を容れて「紳士的」になっているので、用済みになって、日の目を見そうにない私のコメント(前回、「躊躇」云々と書いたもの)についても、ここに載せておこうと思う。ちょうど公開質問状が届いた当日(1週間前)のコメントなので、土壌の処理方法など、現在からみれば状況が変わったものもある。しかし、当日の臨場感もある。ともあれ、参考までに。


*****ここから*****


 昨日お伝えしたとおり、学長から、私たちの提出した公開質問状への回答が届いた。それについて、思いつくままにコメントしてみたい。長い教授会の後なので、持久力が心配ではある。

 まずは、回答が届いたことを喜びたい。正直にいえば、5割とはいわないまでも、回答が来ない可能性も織り込んでいた。それほど、全学執行部の震災後の動きは、私たちにとって不審を抱かせるに足るものであった。しかも、外的条件からすれば、授業開始予定日直前の繁忙期だった上に、回答期限を区切った公開質問状だった。だから、回答の日を半信半疑で待っていたのは事実である。
 しかし、実際には期日中に回答が届いた。これで、議論のスタート地点は築かれたと思う。学長の判断と行動に敬意を表したい。

 しかし…である。文書を開いて驚いた。
http://311fukushima.up.seesaa.net/image/E585ACE9968BE8B3AAE5958FE78AB6E59B9EE7AD94.pdf

 まず、目に入ってきたのは「入戸野修 福島大学長殿」という宛名である。最初は冗談かと思ったが、どこかで見た文章が続いていた。それは、私が先方に送った文書そのものではないか。そこでファイル名を確認したのだが、確かに「公開質問状回答」とある。文章を追っていくと、2頁目以下に赤字で回答が書かれていた(苦笑)。40年以上生きてきたが、このような回答文は見たことがない。事務的であれと言うつもりは毛頭ないし、忙しいのもわかるが、わざわざ「公開」と書いているのだから、多少は体裁を整えていただかないと組織の質を問われるのではないか。そんな余計な心配をしてしまう。
 しかし、形式を問うのはそれくらいにしよう。大切なのは中身なのだから。

 …とは言ったものの、結論からいうと、「回答」も私たちの質問にあまり正面から答えてはいなかった。この点について、順を追って検討したい。

 まず、「1」の点からである。私たちからの質問は、要約すれば、授業再開という重要事項に対して、学生・教員・職員という大学構成員三者の意見をどのように反映させようとしたのか、あるいは、今後していくのか、というものであった。「これまで」のことについては、「非常時であったから、緊急措置として危機対策本部で決めた」という答えであった。
 議事録は公開するが、まだ整理が終わっていないので、疑義がある事項については問い合わせること、とのことである。私の関心としては、誰が、何を根拠に、授業再開を主張し、それがいかなる経緯で合意に至ったのかを知りたいので、どの部分を…と言われても、全体を通して眺めなければわからない、ということである。この点は、議事録の整理をまつほかない。事前に聞きたい気もするが、ほかの仕事の妨げになっては本末転倒である。
 「今後」については、審議・決定を平常に戻し、「従来の審議体制に戻したい」と書かれている。これは、三者自治による大学運営という常道に立ち返るということであり、歓迎したい。いずれにしても、教授会の議題にすらしなかったという点について、何の回答もなく、したがって何の反省もない点は、遺憾である。この点については2.で再度言及する。

 次に、「2」について検討してみよう。私たちの質問の趣旨は、「誤った予測に基づいた授業再開計画を、誤りが発覚した後に見直したのかどうか」ということであったが、回答は、これに対しても正面から答えていない。
 回答書によれば、授業再開を決める指標は4つあって、施設の安全性、ライフラインの復旧、交通機関の復旧、原発事故の推移、ということであった。しかし、モノサシだけ明示されても、判断の正否は確定しようがない。たとえば、「現時点で建物が崩れていない」ということと、「施設が安全である」ということはイコールではない。また、今もなお異常発熱している原子炉もあるから再開すべきでない、という結論も導かれうるからである。
 「数値の見込み違い」については、1/30にはなっていないが「放射線強度は減衰している」と書いている。行間を読めば、「たいした間違いではない」ということのようだ。そういう見通しだからこちらの懸念が尽きないのであるが、「このまま推移すれば…通常活動ができる範囲にある」という見解を繰り返している。まず、「なぜ、このまま推移すると思えるのか?」ということが問題なのだが、そういう「前提を疑う」という姿勢は持ち合わせていないらしい。
 この回答で重要な情報は、「授業再開の最終決定は4月12日」という部分である。この日程は、行政政策学類の教授会の前日であり、なぜ決定を1〜2日待てないのか理解に苦しむ。最初から、教授会の意向を反映させようという姿勢がなかったと判断されても仕方なかろう。

 「3」では、事故当時に明らかにされなかった「最新情報」をふまえて授業再開を延期するつもりがあるか、と聞いたのであるが、この点には回答がなかった。重要なのは、「20mSv/年が大学再開の基準」というのは誤解だから、メッセージを修正した、という部分である。具体的には「5月1日からの年間予測被ばく量については4.4mSv/年でありそれが開校の判断の一つとなりました」とある。なぜ放射線の低減した5月を起算日にしているのか、また4.4mSv/年という計算が妥当なのか。これらの点はここでは触れないが、少なくとも、20mSv/年ではなく、4.4mSv/年が大学の判断根拠であると示されたことは重要であろう。土壌の「除去」と明示した点も高く評価したい。文部科学省は、コストを縮減するためであろうが、土壌の「天地返し」という安易かつ安価な方法で事足りると指導しているふしがあるから、この点は強調されてよい。

 「4」は、なぜ多様な学説(放射線に対して楽観・標準・慎重)があるのに、楽観説だけに寄りかかるのか、という質問であったが、この点についても回答はなかった。複数の説を比較衡量したという説明も、反論もなかったことからすれば、比較しなかったのであろう。
 とはいえ、ここでは大学が現状をふまえて「自主的に判断」するという発言があった点は高く評価したい。私たちは、大学が自主的な判断を放棄したのではないかということを危惧していたからである。ただし、繰り返しにはなるが、判断の際に学生や教職員の意見も反映させるよう要望したい。

 「5」にもまた、「健康被害がないと判断される基準以下であれば…」という文言が踊っている。「そのような『基準』自体が、まだ科学的に解明されていないのではないのか」というのが質問状の趣旨であるが、その意を酌まず、相変わらず楽観説にだけ依拠する姿勢を崩していない。こういう点に無自覚だから、態度が改まらないのである。
 さらに、「授業再開のもたらす責任」を問うているにもかかわらず、「その前に放射性物質を拡散させた事業者、国の責任があると思います」という一般論で答えているのも不満が残る。とはいえ、文中には明確に「晩発性障害の発生に関して大学再開が影響しているとすれば、当然大学の責任が問われるものと考えます」と述べられており、この点は評価したい。しかし、大学再開と晩発性障害の因果関係を説明することは非常に難しいため、その際の挙証責任にも言及していたのだが、それについては回答がなかった。結果的に、「一般論としては晩発性障害の責任は大学にあるが、当該症例は原発事故による晩発性障害かどうかはわからない」という逃げ道を残している。この点は、具体策の提示(卒業後も健康診断を継続して実施するよう、国や東京電力に要請するなど)とともに改める必要があるように思う。

 「6」では、放射線量低減に向けた大学の努力について質問した。今後のスケジュールは具体的に挙がっているが、これまでしてきたことについては言及がない。やはり、大学として線量の低減を実施する取組が、これまでは弱かったということだろう。しかし、6月の段階で「『可能な限りの』汚染土壌の撤去工事を『検討』」という見通しで、学生の被曝量を本当に減らそうと考えているのか、心配である。
 また、基本的なスタンスは、大学内の清浄化であって、キャンパス外での本学の授業の実施は配慮されないようである。個人的には、来年度以降の受験生確保のためには、多少のコストを覚悟してでも、大学の講義を安全な場所に移して実施するようなスキームを早急に考えた方がよいように思う。通学を望まない学生への配慮として、他大学での聴講について、大学側が「希望大学との調整を図ります」と述べているのは、「各自で対応する」という、これまでの原則をはるかに前進させるものとして評価したい。

 以上、全般として、私たちの質問に答えていない点が多々あるのは遺憾である。また、つい最近まで、大学として、ほとんど学生や教職員の安全のための手立てをとらず、対応が後手に回っていたこともわかった。今後の問題としては「有志教員が各種委員会・教員会議等で積極的に提案されることを要望します」という意見のようである。であれば、なぜこれまで学内の意向を一切聞かずに授業再開を決定したのか。この点が問われる。これまでの大学運営のあり方に対する反省を公にし、全学的な協力体制の上に今後の対策を考えていくという道筋が求められる。


*****ここまで*****

最近のニュースから

文部科学省発表(文部科学省と米エネルギー省による線量測定マップ)
http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/__icsFiles/afieldfile/2011/05/06/1304694_0506.pdf

ガンダーセン氏の考察(翻訳が少々不審ですが)
http://www.youtube.com/watch?v=kghLgF2NRFk

 最近、「今さら…」というニュースが立て続けに入ってくる。津波到来前に重要施設が損傷していたとか、翌朝には1号機で炉心溶融(メルトダウン)が起こっていたとか、福島県庁がSPEEDIのデータを早い段階で受け取っていたとか…。いずれも、原子力発電所の安全性や、住民の健康・安全に関わる重大問題のはずであるが、もはやこの手のニュースに慣れてしまった身からすると、驚きもしなくなっているということであろうか。

 原発の状況はそうとう深刻であると思う。汚染も、チェルノブイリ事故の際のものと見比べても、決して軽微なものではない(福島市辺りでも)。色をチェルノブイリ事故の際のものに近似させて表示させたHPを発見した。色を変えると、ずいぶんイメージが変わる。 
http://www.selectourfuture.org/f1/index2.html
posted by あるじ at 21:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月12日

授業再開の日に

 本日、福島大学で授業が再開されてしまった。この日をどのように迎えてよいか、わからなかった。しかも、担当するのは1年生の演習だ。何を話してよいのか、こういう場で語るべき言葉が見つからない。時間は迫ってくる。

 ところが、演習室は意外なほど落ち着き、なごやかな雰囲気であった。放射線のことを気にしているのは自分だけかと思うほどだった。マスクをしている学生も一人しかいない。原発事故など、どこかほかの世界の話のようだ。

 しかし…。

 ニュースによれば、1号機にはほとんど冷却水がなく、炉心が露出して溶けているらしい。東京電力も炉心溶融(メルトダウン)と認めているという。よりによって、こういう日に授業を再開するとは…。

 しかし、これほど重大な事故が起こっているのに、世の中も慣れてしまったためか、危機感のない報道である。大丈夫か?

 今後の対応として、安全な場所に教室を移動させて授業を実施する方策を早急に考える必要がある。簡単な見取り図を作って、いろいろな人にアドバイスをいただきながら完成させていきたい。そちらを急ぐことにする。

 なお、学長からの「回答」については、質問状を出した10人とその周辺で協議意中である。週明けをめどに、何らかの声明を出したいと考えている。やることが多いが、重要度の高い順にこなしていきたい。こんなことが「仕事」になるとは、2ヶ月前には考えもしなかった。そう、最初の水蒸気爆発から、今日でちょうど2ヶ月になる。

 スペイン南部でも地震との由。そういえば、私たちの公開質問状にも、その回答にも、「余震」のことがあまり主要な問題として書かれていなかった。質問状の導入部分では触れたが、具体的な質問には盛り込まれていなかった。メンバーから問題提起はされていたのだが、私が質問の中にうまく配置できなかったのが原因だ。今となっては、反省しきりである。原発と並んで、依然として、こちらも心配の種なのだ。
posted by あるじ at 23:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「公開質問状への回答」の検討

 回答書へのコメントがやっと終わった。しかし、それをここにそのまま載せることには、少々躊躇が芽生えてきた。個人的な視角で裁断しただけでは、やはり建設的な関係を築いていくのが難しいような気もしてきたからだ。それほど、体裁の上でも、内容の上でも問題の多い回答書である。

 しかし、予期せぬ収穫もあった。以前のように、執行部が勝手に決めて全学に一方的に押しつけるという姿勢ではなくなっていることだ。その意味では、不幸な震災とそれに付随した原発事故によって、育てられた面がある。また、文部科学省の言いなりではなく、大学が現状をふまえて「自主的に判断」するという発言があった点は高く評価したい。土壌の処理方法についても各種議論がある中で、明確に「除去」と書いている(これは文部科学省の方針には背馳する)。確かに、以前とは何かが変わった。

 そういうわけで、昨日(もう一昨日になったか)の前言を撤回して、もう一度みんなで議論した上で積極的提案をしていきたいと思う。

 お騒がせしました。
posted by あるじ at 01:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月10日

公開質問状への回答が届いた

 今日の17:00すぎ、学長から、公開質問状への回答が届いた。前回は地の文にしてHPに掲載したが、今回は、PDFで載せるので、下のリンクを辿ってご覧いただきたい。

公開質問状回答.pdf

 質問状を書いたメンバー10人として一致したコメントを出すのではなく、今回は各メンバーがそれぞれ自らの立場でコメントすることにしたい。

 ただ、今日は、寝不足の上に、18:00からFGFの第2回勉強会に参加し、4時間以上の長きにわたり議論を続けたので、体力が限界に近づいている。コメントは、明日掲載するとして、当面の報告に代えたい。
posted by あるじ at 23:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月06日

「授業再開」についての公開質問状

 今日の夕刻4時半過ぎに、ようやく学長への「『授業再開』についての公開質問状」をまとめ、先方に送付することができた。急だったこともあって、10人連名での門出であったが、それでも意見調整は困難をきわめた。多少盛り込みすぎの感はあるが、これでもかなり削っている。どこまで意を尽くせたかわからないが、一読いただければ嬉しい。

 ここ一ヶ月ほど逡巡しながら、受け手の反応を想定して足がすくんでいたことを、仲間たちの協力を得ながら実現できた。学内にもいろいろな考え方があるということを示すだけでも意味があると思ったのだ。

 学長からの回答が届き次第、ここに発表することにしたい。

 そう書いていたら、菅総理が浜岡原発の停止を中部電力に要請したというニュースが届いた。今日は久しぶりにゆっくり眠れるかと思ったが、どうだろうか…。


2011年5月6日

入戸野修 福島大学長殿

荒木田岳(行政政策学類)    

石田葉月(共生システム理工学類)

井本亮 (経済経営学類)    
 
金炳学 (行政政策学類)    
 
熊沢透 (経済経営学類)    

中川伸二(行政政策学類)    

中里見博(行政政策学類)    

永幡幸司(共生システム理工学類)

村上雄一(行政政策学類)    

森良次 (経済経営学類)    



「授業再開」についての公開質問状


 本日も朝から余震が発生し、今後、大規模な余震も懸念されているのはご存知のことと思います。また、それによる原子力発電所のさらなる破壊も心配されています。しかし、現状では、地震はもとより、原発の制御も未だ可能となっておりません。そのような状況下で、学内外からの重大な懸念をよそに、福島大学は5月12日に授業を再開しようとしています。私たちは、こうした決定に対して深く憂慮する教員有志です。

 大学再開の判断にあたって、学生の意向や再延期の結果生じかねない不利益(4年で卒業できない)を考慮することも重要ですが、その大前提として、学生、教職員の安全が確保されていることが何よりも必要です。しかし、こうした問題に関して全学執行部が学内に対する説明責任を果たしているとは到底考えられません。そこで、私たちは、下記のような質問を準備いたしました。これらの諸点について、5月10日までに文書(画像ファイルかPDFファイルで結構ですが、HP掲載のため、ドキュメント・ファイルも併せて送っていただければありがたいです)にて回答いただけると幸いです。

 なお、この質問状については、回答の有無も含めて私たちのホームページにて公開し、マスコミにも送付する予定でおりますので、念のため付記しておきます。



1.福島大学では、教員・職員・学生(院生)の三者の合意に基づいて大学運営を行うというのが原則であり、そのことを確認した「福島大学憲章」について、学長もこれを尊重すると言われました。しかし、5月12日の「授業再開」は、非常時における「危機対策本部」の決定として発表されたものであり、三者の意向を反映したものとはいえません。そもそも、各学類の教員会議の議題としてすら上がっておりません。ことの重大性に照らせば、ここに最大限、学内の意見を反映させる必要があると考えますが、いかがでしょうか。大学として、授業再開の決定以降、三者の意見をどのようにふまえようと努力されたのでしょうか、されなかったのでしょうか。今後は、どのようにされるおつもりでしょうか。「決定の経緯」と「その後の学内の意見反映努力」に整理した上でご説明ください。また、証拠資料として、会議の日時、メンバー、議事録などを提示していただくようお願いします。

2.3月25日に発表された「学長アピール」には、放射線量が「開校までにはさらに1/30 程度に減衰し、全く問題なく、安全に皆さまを迎えることができる」という、現在からみれば「事実と異なる」見解が示されていますが、「授業再開」を決定した際に、この見通しをどのように総括し、計画全体を見直したのでしょうか、あるいは見直さなかったのでしょうか。そしてそれはなぜでしょうか。説明してください。

3.ここ数日、事故当初に明らかにされていなかった、新しい情報が出始めておりますが、それをふまえて授業再開を見直すつもりはあるのでしょうか、ないのでしょうか。そしてそれはなぜでしょうか。とりわけ、文科省による「福島県内の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について(通知)」(4月19日)をめぐっては、各界でさまざまな問題点が指摘されているにもかかわらず、学内で年間20mSv/年を大学再開の基準とすることの妥当性は十分に議論されておりません。この判断の結果が、附属学校についても影響を及ぼすであろうことを考えれば、きわめて事態は重大です。大学としての見解を問いたいと思います。

4.低線量の放射線被曝については、科学的に決着がついた問題ではなく、福島市程度の線量でも晩発性の健康被害の問題があることを指摘する説も少なからず存在しています。しかし、「学問の府」や「科学の砦」を標榜する福島大学が、多様な見解を比較衡量した形跡すらも示さずにこうした見解を無視し、政府の「基準」のみに依拠する理由を説明してください。なお、政府の「基準」が変更になった際には、学内の方針も連動して変更になると考えてよいかについてもご回答ください。

5.大学が授業再開を決定したということは、大学が「安全である」ということを保証したという意味だと拝察されますが、もし、現況の放射線量についての「安全である」という仮説が間違っていて、健康被害の問題が発生した場合に、福島大学において、誰がどのように責任をとるのでしょうか。ご説明ください。同時に、福島大学において晩発性の問題が発生しなかったという挙証責任を、誰がどのような形で立証するのか説明してください(私たちは、被害者が立証しろというのは、あまりにも無責任な態度であると考えております)。

6.5月2日に発表された学長アピールには「本学では、授業開始にあたって、学生の安全・安心を確保するための最大限の措置をとるように努めて参ります」という文言があります。では、大学としてどのような対応をしたのか、する予定なのかについて、「放射線自体を減少させるための措置(たとえば、敷地内の除染など)」と「被曝量を減少させるための措置(キャンパス外に移動、マスクや線量計の配布など)」に整理して、スケジュールも示した上で、回答してください。その際、とくに「安全上の理由から通学を望まない学生が不利益を被らない教務上の方策がとられているか」という点について留意していただけるようお願いします。なお、「学長アピール」の「今後の対応」欄に書かれたことは、既知の情報としてご質問していることを申し添えます。

以上 

posted by あるじ at 21:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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