2011年07月30日

福島大学の連携先

 今月20日、学内外の批判をよそに、福島大学は日本原子力研究開発機構(以下、「機構」と略記)と連携協定を締結した。この「機構」が、どういう組織かは今さら説明の必要もないであろう。

 この協定について、東京新聞・中日新聞は「こちら特報部」で報じられている。
http://heiheihei.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/72812-12b0.html
http://heiheihei.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/72822-25ff.html
(→どなたか存じませんが、写真で記事が掲載されていたので勝手にリンクしています)

 よりによって、見直しが検討されている「もんじゅ」の母体とこの時期に連携協定を締結するとは、機構の延命に積極的に協力するという意図があるか、あるいはあまりに現状を理解していないか、どちらかであろう。どちらであっても、見識ある大学人の態度ではない。

 さきに紹介した新聞記事に「大学が地域住民に背を向けたという印象を決定的に与えた」という指摘は重要である。被曝問題が、全国の人々の関心から消え始め、単に福島の住民だけの問題とされようとしているときに、同時に、地元の大学がどのような対応をするかが注視されているときに、福島大学は上記のような判断をしたのである。原発によってふるさとを失った、あるいは失おうとしている人々の心に、この便りはどのように届いたであろうか。

 こう書くのには理由がある。7月19日に行われた政府交渉の場で、国の担当者は「福島県民もほかの日本国民と等しく、無用の被曝をせずに生活する権利があるか」というごく基本的な質問に対してさえ、言を左右してついに回答しなかったからである。
http://www.youtube.com/watch?v=QTWvkJShk4A

 さきの東京新聞の記事が届けられたころ、知人から下の映像を紹介された。昨日来、ネットを賑わしている児玉龍彦東京大学アイソトープ総合センター長の衆議院厚生労働委員会での参考人説明である。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=41163&media_type=wb&lang=j&spkid=21080&time=01:07:01.4
(質疑の方もぜひ)

 福島大学の学長は、機構との連携の理由について「本学は福島県内唯一の国立大学として地域の環境回復・復旧・復興に向けて大きな責任を負っていると認識しております。しかしながら、本学には放射能・原子力問題に関する専門家が一人もいないというのが現状です」と語っている。
http://www.fukushima-u.ac.jp/guidance/top/topics/h23/110720-kyoutei_genken.html

 しかし、機構はもとより除染のための組織ではない。さきの児玉龍彦氏の映像は、「地域の環境回復・復旧」のためなら、ほかによりよい連携先があったのではないか、と考えさせる。福島に住む人の立場で考え、行動する組織との連携こそが地域に貢献する途ではないか、と。

 内容もさることながら、連携協定締結の手続にも問題があった。この間、あれほど私たちが学内合意を大切にして大学運営を行うように訴え、それに対して、大学当局も限定的ではあるが前向きに回答していた。
http://311fukushima.up.seesaa.net/image/E585ACE9968BE8B3AAE5958FE78AB6E59B9EE7AD94.pdf
http://311fukushima.up.seesaa.net/image/iken.pdf
http://311fukushima.up.seesaa.net/image/kaitou.pdf

 しかし、大学当局は、またしてもトップダウンで連携を決め、評議会にも、教授会にも「報告事項」で下ろしてくるという方法を採った(報告事項であるにもかかわらず、3学部の教授会、評議会ではいずれも異論が噴出したと聞く)。提携当日に教授会報告がなされた学部もあったというから驚く。学内の意思決定手続をバイパスし、役員会で決めて、異論が出ても「報告事項だから」と言って聞かず、最後は「ほかの大学との連携協定も同じ手続だから」と居直る始末である。機構との連携も、「他の大学と同じ」という認識のようだ。

 福島大学は、いつからこんな大学になってしまったのか。



ニュース紹介:これも有名なものです
http://www.youtube.com/watch?v=WowsVF98W7g
http://www.youtube.com/watch?v=j43YVhuBxDc&feature
posted by あるじ at 14:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月09日

見知らぬあなたに

 「刑務所をみればその国の文明度がわかる」といったのは誰であったか。

 福島の現状に引き寄せれば、「原発の作業員をみればその国の文明度がわかる」と言い換えることができるかもしれない。単にレトリックの問題ではなく、処遇の上で、福島第一原発の作業員の方が、受刑者よりもはるかに危険で、非人間的な扱いや使役を受けていることは、ほぼ間違いない。冷却作業の行き詰まりと無関係ではないと思われるが、最近、原発作業員のニュースがすっかり減ってしまった。「原発が安全に冷温停止する」という重大事項の鍵は、現場の働きにかかっているにもかかわらず、である。

 当初の情報では、1日2食(レトルト食品とクラッカー20枚)、防護服のまま狭いコンクリートの上で仮眠、風呂にも入れず、いびきがうるさくて熟睡できないというような話であった。しかも、作業員の大半は震災の被害者でもあるという。過度なストレスと、過酷な作業で衰弱しきった作業員の様子が伝えられた。
http://www.youtube.com/watch?v=8VvYHCqb5aM
http://www.youtube.com/watch?v=sWyqsOcDTrM
http://www.youtube.com/watch?v=Y0449gF8_jc
http://www.youtube.com/watch?v=vtmdTIE7z9Y

 その後、これはどのように改善されているのだろうか。被曝線量が高く、250mSvに引き上げられた限度量でさえもオーバーし、「戦線離脱」する作業員も増えてきたようだ。9人目までは数えていたが、これも現在はどうなっているのか。緊急時には被曝限度を引き上げるという政権である。どこまでも、現場だけの、限定された話とされるのであろうか。

 西日本に住む人にとって、3月11日の震災は、別世界の話だろう。しかし、多くの人の生活は、福島の地と直結している。計画停電は西日本にはほとんど影響を及ぼさないであろうが、原発事故の影響は、電気とは別のところにも深刻な影響を与えている。

 原発事故からしばらくして、日本中の建築現場にユニットバスやエコキュート(ヒートポンプ型電気給湯器)が届かなくなった。原発から20〜30キロ圏に排水トラップ(M社)や減圧弁(D社)の国内シェア90%あるいはそれ以上の工場があったためである。
 一般に、福島県に「工業県」のイメージはないと思われるが、福島県の工業製品の出荷高は、宮城県を凌いで、東北地方第1位である。しかも、今回の、排水トラップや減圧弁のように、国内シェア90%の工場がそこにあったということは、メーカーは違っても同じ工場の、同じ(ような)部品を使ってユニットバスやエコキュートが作られていることを意味する。メーカーを問わず製品の供給が止まったゆえんである。その結果、仮設住宅を建てなければならない段階で、風呂が作れないという、矛盾した事態も発生した。西日本の建築現場からは「なぜウチの現場に風呂が届かないのか」と、各地の営業所にクレームの電話が殺到したと聞く。地震の揺れすら感じない地域の人に、「地震のため」と説明しても、理解を得るのは難しいだろう。

 3月末ころから、タバコの品薄が続き、4月半ばには店頭から姿を消した。これは、全国に6カ所あるJTの工場のうち、福島県の郡山工場と栃木県の宇都宮工場が被災したためである。現在は、出荷が再開され、店頭でその姿を見るようになったが、葉タバコの一大産地は福島原発の西側に広がる地域(田村郡を中心とする)にあり、原材料の調達を考えれば品薄状態の長期化が予想される。郡山には専売公社時代に重要な事務所が置かれたいたが、その前身は三春町にあった。三春の事務所は東北6県(の葉タバコ)を統括する東日本の中心的機能を担っていた。

 福島県が生産の重点を担っている物産はほかにも多いが、そのことは、東京の電気にとどまらず、全国の人々の生活に福島県が大きく関わっていることを意味する。遠い福島で原発事故が起こると、電気が不足し、ユニットバスが届かず、店頭からタバコが消える。そういう関係を、私たちの住むこの社会は、すでに作ってしまっている。だから、「福島の問題」は福島の問題にとどまらない意味を持つのである。全国のそれぞれの地域が、互いに、想像以上に深く関わりあっているという現実は、政府がいくら今回の原発事故を「福島内部の局限された地域の問題」に矮小化しようとしても、中長期的には、問題の広がりを自覚させずにはおかないのである。

 だから、私たちが、全国の人に「福島の現実を自分たちの問題として理解してほしい」と願うのと同じように、福島に住む私たちも、原発の作業員がどのような苦労をしながら日々格闘しているかについて想像力を働かせよう。そうすれば、「作業員」などという一般名詞ではなく、彼らもまた「一人の子煩悩なパパ」であったり、「無口で実直な職人気質の親父」であったり、生身の、一人の人間としてのイメージがわいてくるであろう。そのときに、劣悪な労働環境下でその人々を働かせることを容認できるだろうか。
 想定される反論は、「原発作業員は人数に限りがあるのだから、線量限度を引き上げてでも彼らに働いてもらわなくてはならない」というものである。しかし、多くの人々がそう考えているうちは、おそらくこの問題(原発の冷温停止・汚染水の閉じ込め)は解決しない。なぜなら、その考えによれば、多くの人にとって「別の世界」の問題だからである。作業員全員が線量限度を越え、「劣悪な条件下で作業員を働かせることが人道上、問題なのではないか」という議論が出てきたときに、原子炉を安全に停止させるという重大問題が、はじめて「彼ら」の問題ではなく、「私たち」の問題として自覚されるのだろう。働く人がいなくなっても、原発を止めるという課題は存在し続けるからである。そうなったら、みんなでどうするかを考えるしかない。

 その日が来る前に…と考えるのは、私だけだろうか。

posted by あるじ at 19:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月08日

姉妹都市はどこ?

 6月24日夕方、福島地方裁判所郡山支部に、児童の疎開を求める民事訴訟が提起された(被告は郡山市)。7月5日に、第一回公判が開かれたが、そこで請求が棄却されなかったところをみると、裁判の手続に載ったのだろう。

 学童を疎開させろというのも不思議な裁判であるが、おそらく、学校教育法第40条(中学校の場合は同49条によりこれを準用)に基づいて、区域内に小学校設置が「不可能又は不適当」な場合であることを立証し、「郡山市がほかの自治体に教育事務を委託すること」を獲得目標としているのだろうと考えられる。

 郡山市ばかりが「やり玉」にあがるいわれはないであろうが、郡山市に「もまた」、学校教育を開始した責任はある。むろん、裁判が郡山市それ自体をターゲットとして実施されているとも考えがたい。郡山市との裁判を通じて、現在の文部科学行政の不当性を証明するというのが裁判の戦略であろう。たしかに、この間の文部科学省の対応はひどい。

 裁判の行方は、関心を抱きつつ見守るとして、その後のことは考えておく必要がある。

 「他の自治体に教育事務を委託する」といっても、委託には相手の事情もある。また、どこにでも委託できるものでもない。県内でもすでに「サテライト協力校」方式で学校の移動が実施されているが、裁判が「1mSv/年を超える線量の場所での教育の違法性」を問題にしている以上、福島県内で適地を探すのは難しいのではないか(内部被曝も含めれば絶望的であろう)。

 しかし、方法がないわけではない。たとえば郡山市は、鳥取市、奈良市、久留米市と姉妹都市の提携をしている(オランダのブルメン市は教育事務委託の対象として現実的ではないだろうが)。ここと連絡を取り合って、受け入れをお願いするという方法はあるのではないかと思う。聞いてみなければわからないが、久留米市を除いては、近年に廃校になった学校もあるようだし、可能性はあるだろう。

 県単位では、3.11以降、関西広域連合が東北地方の長期的復興支援を決めているが、その「ペアリング支援」の枠組では、滋賀県と京都府が福島県の支援を担っており、その両県にお願いする方法もある。

 高等学校の場合にも、入学金や編入試験を(一部あるいは全部)免除しての編入を認めている府県がある。災害救助法に基づく措置(福島県は全域がその範囲に指定されている)とあるので、全県の被災者がその対象になる。入学金免除などには、「全壊・半壊」という要件を含む例(栃木県など)もあるが…。

 自治体レベルでの普段の交流が、非常時に役立つこともあるのではないか。



参考までに(本文とは無関係)
http://www.universalsubtitles.org/en/videos/zzyKyq4iiV3r/
posted by あるじ at 22:02| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月04日

緊急声明

 7月3日、FGFの仲間たちと、議論の末、県知事に対して「県民健康管理調査」に関する緊急声明を発表した。
kinkyu_seimei.pdf

 周知のように、この調査は福島県が全県民を対象に実施し、その内部被曝量を推定するものである。その目的は、「原発事故に係る県民の不安の解消、長期にわたる県民の健康管理による安全・安心の確保」だそうで、ご丁寧に「不要な不安を払拭」と繰り返している。
http://www.pref.fukushima.jp/imu/kenkoukanri/20110618_chousagaiyou.pdf

 多くの福島県民は、県が全県民を対象にした「健康調査」を実施すると聞いたとき、「県もやっと重い腰を上げて県民の健康管理のために動きはじめた」と思ったはずである。しかし、はたしてそうだろうか。

 福島「県民健康管理調査」検討委員会の座長は、かの福島県放射線リスク管理アドバイザー、山下俊一氏である。この人物が3月以来県民に何を語ってきたかは、今さら繰り返す必要もないであろうが、一口で要約すれば、彼は、県民に避難の必要はないと言い、「安全だ」を連呼してきた人物である。

 県民の避難を思いとどまらせ、被曝に対する予防をおろそかにしてきた人物が、今度は健康管理調査の実施責任者になるというわけである。「体制の公正さが調査結果の公正さを担保する」という観点からすれば、非常に問題のある人選である。原子力推進組織が除染をし、県民に余計な被曝をさせた人物が健康調査をする…。非常時なら何でも許されるのか?少々驚きを禁じえない。

 現状に照らせば、すでに、福島市在住の子ども10人の調査で、10人全員からセシウム134,137が検出されている。おそらく、これも「ただちには健康に被害のないレベル」として処理されるのであろうが。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110630/t10013893131000.html

 このニュースで、「この量で健康被害があったという報告は、これまでにない。過度に心配せず、ふだんどおりの生活をしてほしい」と語っているのは放射線影響研究所元所長の長瀧重信元理事長である。放射線影響研究所がいかなる組織であるか、彼と山下俊一氏はいかなる関係か、もふまえてこのコメントを聞けば、その狙いとするところがよく理解できるであろう。

 いずれにしても、放射性物質は時間とともに体内から排泄されていく。だから、検査が遅くなればなるほど検出される数値は低下する。問題は、数値が低下し、検出されなくなっても、それが体に影響を及ぼさなかったとはいえないことである。放射線の影響で、傷つき修復されなかったDNAは、その後、細胞を癌化させる恐れがある。しかし、検査時点で放射性物質が検出されなかった場合には、それが放射線の影響であることを証明できない。県の予定では、問診票の配布が8月末、回収後に被曝線量の高そうな人をピックアップしてホールボディカウンター(WBC)で検査とのことである。いったい、それはいつの話か。多くの被験者の数値が「誤差の範囲」になってしまうのではないか。住民の健康への影響をより正確に見極めようという意図があるなら、可能な人から、即座にWBC検査を受け、その費用は県が(当面は)支払うという仕組みにすればよい。時間稼ぎをしている場合ではない。

 それから、今回の調査が「全県民を対象として…」と語っているのも引っかかる。言外には、県が丸抱えで、独占的に調査を実施するということであろう。これは、「県民の健康に関しては、県が一番多くのデータをもっている(=最も権威があり、信頼に足る調査である)」という事態を招く。にもかかわらず、原発事故後の県庁の対応(SPEEDIのデータを公表せず、避難を勧告せず、健康調査をせず…という、一連の不作為)に照らしても、今回の健康調査の使われ方には一抹の不安が残る。原爆やチェルノブイリの際の健康調査の、二の舞にならなければよいが、と。

 現在の体制で、住民の健康を第一にした調査が行われるとは考えにくい(「健康調査」という名の…)。しかも、県民の健康不安を忖度すれば、「調査するな」とはもちろんいえない。こういうダブル・バインドの状況で、緊急声明に名前を連ねたのである。

 いうまでもないが、ここに書いたのは私見であり、ほかのメンバーが合意している内容ではないし、「緊急声明」の公式的解釈でもない。
posted by あるじ at 23:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

除染活動をめぐって

 一ヶ月ぶりのブログ更新である。書くことがなかったわけではない。書く時間がなかったわけでもない。何を書いてよいかわからなかったのである。

 エントロピー学会の山田国廣さん、細川弘明さんたちと、福島のみなさんと一緒に市内の除染活動を実施していることはすでに書いた。来週末もその活動と合流予定である。この活動の影響でかどうかは定かでないが、6月25日から、ようやく県や福島市も重い腰を上げて除染活動に乗り出した。市内3小学校(福島第一、北沢又、金谷川)連日50人体制で動いてる様子が報じられているが、実施協力は文部科学省、東北大学、京都大学、福島大学、原子力研究開発機構等々で、事実上ここが実働部隊であろう。
http://www.jaea.go.jp/jishin/kiji/kiji110624.html

 悩ましいのは、原発を推進してきた組織が除染の中心に座るということである。「原発の専門家は除染の専門家でもあるわけだから、この際、協力していただくのは当然」という意見もあろう。しかし、心情的には釈然としない。誰の生き残りのため作業か、という疑問である。むろん、住民のためなら言うことはないが。

 彼らが実施している「高圧洗浄機」の利用もどうなのか。私たちの除染活動が基本にしているのは、「そこにある放射性物質を、移動させず、そのまま取る」ということである。水で流しても、放射性物質は消えてなくなるわけではない。側溝や下水道、あるいは隣家に流れていくだけである。「その場」からなくなっても、ほかの場所に追いやったに過ぎない。こういう活動は、短期的に小学校の線量は減っても、周辺あるいは近隣の小川、下水管に放射線を拡散させていることであり、長い目で見れば市内全体を視野に入れた除染活動をする際には、阻害要因になりかねない。たとえば、北沢又小学校の裏にはよどんだ水路があり、そこに洗浄水が流れ込んで滞留している。これが新たなホットスポットになる。

 「汚染の拡散や押し付け合い」は避ける必要がある。

 福島大学の高橋副学長は、学内での除染実験のときにしきりにそのこと(水を使った除染の戒め)を強調していたが、今回は何も言わないのであろうか?そういえば、福島大学が学内の除染もしないで、市内の除染に協力しているのも不審である。大学は、6月29日の朝にやっと「U字溝」の除染日程を「発表」したばかりで、グランドの除染はお金がないからめどが立たないとか…。除染して請求しない限り、待っていては予算などつく見込みはほぼないと思うのだが。その一方で、日本原子力研究開発機構との「連携」が教授会で報告された。原子力の推進組織と福島大学が「連携」するなど、思いもよらないことだが、こういう重要な案件も「報告事項」である。「大学間連携と同じ」という認識なのかもしれないが、そういう認識自体が…。書いていて辛くなる。

 原子力推進組織が自ら除染に…というのは、どこかで見た景色である。

 そのことは、次回書こうと思う。




今回紹介する資料
http://jp.wsj.com/Japan/node_258611
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00202518.html
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1132
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110701TokyoPress.pdf
posted by あるじ at 09:17| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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