2011年08月16日

矛盾の体系

 5月以来、京都精華大の山田國廣さん、細川弘明さん、同志社大の和田喜彦さん、そして福島の住民の方々、福島大学の同僚らと除染作業をしていることはすでに書いた。もとより私は除染の専門家ではないし、放射線も怖い。しかも、体力も気力もないので、どちらかといえば戦力というよりは足手まといに近い。

 とはいっても、現状を放置していては住民の被曝が進むだけである。国も県も避難を助けないし、大学も学生を集めて授業をしている。このような現実がある以上、そして、いくらその現実に異を唱えてもそれを変える力がない以上、被曝を減らすための努力をするしかない。その一つが除染である。

 現状に不安を持っていない人に除染を期待しても無駄である。必要がないと思っているのだから当然だろう。結局、不安を感じる人ばかりが、今そこにある危険を取り除くために、除染に加わっている。そこにいつも矛盾を感じる。

 さて、除染作業をすればするほどわかってきたのは、余計な被曝を避けるためには、やはり可能な人から避難するしかないということである。

 まず、実際の放射線量は発表されているほど低くないし、また、降り注いだ放射性物質の核種すら発表されていないからである。さらに、除染の効果には限界があるためであり、何よりも政府が福島の人々の命や健康を守ろうとしないためである。これに、原子炉がいつまた新たな問題を起こすかもしれないという危惧が加われば、さきのような感想を持つのも仕方がないという気分になる。「放射線の計測」や「核種問題」「政府の対応」については、別の項を立てることにして、ここでは除染についてだけ述べる。

 除染をすれば、その限りで放射線の数値は下がる。しかし、周囲からのガンマ線の影響もあって一定の数値以下にはならない。雨が降れば、余所の放射性物質が流入して元の木阿弥になることもある。だから、誤解を恐れずにいえば、大規模に除染に取り組まない限り、全体としてみれば思ったほどの効果はないといえる。しかも、それぞれの作業はかなりの時間と労力そして財力を必要とする。ときとして、砂漠に水を撒いているような気分になる。これをやりきろうと思えば、強靱な精神力・忍耐をもって臨むほかない。一市民やグループの能力の限界を超えている。

 一部のマスコミは、高圧洗浄の効果を吹聴している。福島市内のとある学校の屋上で、毎時35マイクロ・シーベルトから毎時1.9マイクロ・シーベルトに下がった(地上1センチで測定)と報じられている。私たちの除染グループは、まさにその学校の排水溝で50〜70マイクロ・シーベルトのホットスポットが(新たに)形成されていることを放射線測定の結果、発見した。恐れていたとおりの結果が出たということである。水で流したところで、放射性物質が消えてなくなるわけではない。水が下水道に確実に流れ、処理場でトラップできるという条件がない限り、高圧洗浄は、上記のように放射性物質を移動させ、新たなマイクロ・ホットスポットを作ることにつながる。

 たしかに、水を使っての「除染」は簡単である。穴を掘って埋めなくてもよいし、ほかの道具を買う必要もない。そして何より時間がかからない。だから、「水を使えば楽なのに」という誘惑には毎回駆られる。

 結局、除染作業は「矛盾の体系」である。

 現実的に考えれば、今後、福島県内の除染を大規模に進めようとすれば、洗浄した水やそれを含んだ汚泥をバキュームで吸う方法でしか不可能ではないか、と思う。これは、一緒に除染を続け、福島グループで一番熱心に取り組んでいる深田和秀さんの意見でもある。ただし、そのためには、汚泥から放射性物質を分離させる技術が確立する必要がある。でないと、除染にともなって発生する膨大な量の水や汚泥を管理しきれないからである。しかし、これが簡単にできるなら、汚染水数千トンの処理が新聞のネタになるはずもなく、放射性物質を含んだ汚泥や水の管理は難しい。これを管理しきれなければ、先述のように放射性物質を拡散させることになる。東大アイソトープセンターの児玉龍彦所長が指摘するように、最前線の技術を投入してこの問題を解決できないものであろうか。

 別の問題として、放射性物質の一時保管場所の確保がある。保管場所が確保されないから除染が進まないということにもつながる。しかし、誰しも自分の家の近くにそのようなものを作られては困るから、保管場所の設置は困難を極める。必要だということはわかったとしても、近所にそれを受け入れるというのは別問題である。しかも、「一時」とはいつまでか?これまでの対応を見ていると、その期間がずるずると延びることは容易に想像できる。「原発事故に加えて、その汚染物質の受け入れまで住民に期待するのか?」と言われれば、返す言葉もない。しかし、この合意の難しい問題の解決も、福島の人々に課せられているのが悲しい現実である。

 汚染物質を拡散すべきでないことは、頭ではわかっていても、納得するのは難しい。なぜ福島だけがその問題を引き受けなければならないのか。しかも、福島の人々は、問題を引き起こした原発の電気を使っていたわけでもない。

 結局、いつも同じ結論に達する。

 何かおかしくないか?



posted by あるじ at 22:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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