2011年10月14日

見捨てること、見捨てられること、そして忘れられてしまうこと

 社会がゆっくりと音も立てずに崩れていく
 人知れず南極の氷がとけていくように
 福島にいると、それが手に取るようにわかる。

 当初は、「巨象」と戦うようなつもりで始めたブログであるが、すっかり意気消沈して先が続かなくなっている。

 書く材料も、書きたいことも山ほどあるのだが、書くことを躊躇させる材料が多すぎる。人目を気にするタイプではない方だと思うが、福島の現実は厳しすぎて、つい読み手の気持ちを忖度し、考え込んでしまう。

 職場から帰って、明かりを落とした部屋で、食卓の白熱灯の下、ひとりで不健康な夜食を口にしながら「いま、妻や子どもはどうしているかな…」「どうしてこんなことになってしまったのか…」などと由のないことを考えている人を想像してみる。

 家のローンもあるし、いま以上に条件のましな職にはありつけそうにない。ならば家族を養っていくにはここで頑張るしかない。妻子とて、福島が嫌で出て行ったんじゃない。彼らもまた辛いだろう。それにしても、こんな生活がいつまで続くのだろう…。

 そんな、侘びしい同世代の男たちを想像すると、言葉を失ってしまう。

 私たち「はだしのゲン」世代は、放射能の恐ろしさを身体化している。おそらく福島の現状を楽観している人も多くはないだろう。しかし、だからといってどうしろと言うのか。明日も定時に会社は始まるし、この現実をどうしようもない。もちろん、個別には心配してくれる人もいるし、手弁当で除染に駆けつけてくれる仲間もいる。しかし、全体としては福島は見捨てられている。見殺しにされているといってもよい。

 7月19日の「避難の権利」の確立を求める対政府交渉の場で「避難されるのは自己の判断に基づき、していただいて結構だと思います」という言葉を、その場で聞いた。一生忘れることのできない言葉だ。
http://www.youtube.com/watch?v=cq1APhZSJAI

 この衝撃は大きかった。日本政府は「避難するならご自由に」という発言をするような人物(佐藤暁氏)を原子力災害現地対策本部の室長として送り込んでくるのか、と。このときに私の中で何かが変わってしまった。

 朝日新聞とテレビ朝日系放送局が電話で行った被災3県世論調査によれば、福島県では回答者のうち34%が移住したいと答えている(朝日新聞9月10日付朝刊)。その比率は、中学生以下の子どもがいる家庭では51%になる。
http://www.asahi.com/national/update/0909/TKY201109090610.html

 朝日新聞デジタルには元になるデータが載っている。そこでは、「移住したいと思わない」と答えた人に、その理由を聞いているが、「放射能の危険をそれほど感じていないから」という回答は18%で、「仕事を見つけるのか難しいから」が12%、「住み慣れた地域を離れたくないから」が59%であった。避難の際の基準となる「年間20ミリシーベルト」には過半数が「厳しくするべきだ」と答えている。

 助けを求める悲痛な叫びが聞こえてくるようだ。

 福島第一原発の話題になると、いつも疫学の統計や物理学の話になる。そこには「人間」が出てこない。それが不満だ。嘆き、絶望している人々の姿が見えない。いつもと同じ日常を送るしかない人々が、いったいどんな思いで日々暮らしているかも見えない。

 もちろん「放射能のことなど気にしていない」という人もいる。しかし、だったらヒステリックにそう答える必要はないだろう。行間にはストレス過多が溢れ、殺伐とした空気が流れる。

 私とて、福島が見殺しにされている現実を受け入れるには時間がかかった。行政に期待をもった時期もあった。しかし、現状において、どうやらそれは無駄であるらしい。行政の対応を待っていても被曝が進行するだけだ。現地にいて、自分の目でものを見て、自分の頭で考えれば、現状を楽観する材料はほとんど見つからない。そして、少なからぬ人々が避難を望んでいる現実がある。現実に即して、住民本位で考えることができないなら、「地域主権」などという言葉を易々と語って欲しくない。

 「失うものが多い」つまり、既得権をもっている人ほど、福島の危機を隠蔽する傾向にある。現状を変えることに伴うデメリットが多いからだ。こういう人は概して「科学的」粉飾や屁理屈が得意だから手に負えない。政府は(地方政府まで含めて)目先の出費を節約した気になっているのであろうが、もっと大きな、大切な何かを失っていることに気づいた方がよい。



 後期の授業が始まった。学内の除染もほとんど進んでいないというのに。大学で地方行政を学生に語りながら、私自身は地方行政に対する不信を深めている。苦しい。それでも、行政が人々の不幸を分け合っていた、懐かしい時代の思い出を語ることくらいはできるだろうか。そして、国家予算何年分もの借金を抱えて、焼け野原から再出発した日々を思い出すことくらいは…。


posted by あるじ at 10:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月17日

「放射線測定」考

 6月に、福島市の某所で毎時150マイクロ・シーベルトというホットスポットがあることをフジテレビのニュースJAPANが報じた(実は、このホットスポットは私が発見したものだ)。
http://www.youtube.com/watch?v=DRehttRV3ao 
(1分10秒目あたり参照)
 もちろん、地表を測っているから高い数値が出るわけであり、これに対して異論を唱えられることは多い。地上1メートルを計測しろというわけである。

 「正確な計測」「統一した基準」という議論は有力である。

 文部科学省に報告される全国46都道府県(福島県を除く)の放射線量データが、7月26日発表分から地上1メートルのものに「統一」されたという。
http://mainichi.jp/select/science/news/20110727k0000m040105000c.html
 どこかの大学の副学長も、正確な計器によって正しく測定された数値でないものは公表すべきでないと発言している(安価な測定器は信頼できないという意味らしいが)。

 経済産業省資源エネルギー庁は、「インターネット上に掲載される原子力等に関する不正確な情報又は不適切な情報を常時モニタリングし、それに対して速やかに正確な情報を提供し、又は正確な情報へ導くことで、原子力発電所の事故等に対する風評被害を防止する」という目的で、「原子力安全規制情報広聴・広報事業(不正確情報対応)」を一般競争入札に付している(すでに結果も出ているが、ここでは7000万円で東京都中央区の大手広告代理店が落札ということだけ記載しておく)。
http://www.enecho.meti.go.jp/info/tender/tenddata/1106/110624b/110624b.htm
(とくに、末尾「入札説明書等はこちらからダウンロードして下さい」の(3)仕様書を参照のこと)

 「正確な計測」「統一した基準」という「正論」が与える効果は、福島の人々が各自の問題意識で行う線量計測ととりわけその公表を萎縮させ、政府の公式発表に従わせるということにある。なけなしの預金をはたいて買った線量計も、「基準を満たさない不正確な計器」というわけである。

 しかし、そのような発想は「客観性の病い」であって、無意味とはいわないまでも、現実を知る上ではむしろ「有害」ではないかとさえ思う。私たちは、どこに放射線源があるかを知っている。地上に降り積もった放射性物質が放射線を発しているということである。であれば、その分布がどうなっているかを調べるためには、地表を測るのが定石である。

 人々が生活する上で、マイクロ・ホットスポットを避けることが重要で、そのためにはそれがどこにあるかを発見する必要がある。「地上1メートルで統一」とか「△メートルおきのメッシュで測定」といった機械的な発想は、作業を妨げる「効果」しかもたない。そもそも目指しているものが違う、と言い換えてもよいだろう。嘘だと思うなら、地上1メートルで計測してマイクロ・ホットスポットを発見できるか試してみればよい。

 また、よく「高い数値をそこだけ取り出して発表している」というご批判を受ける。要するに、誇張し、あるいは事実を歪曲して伝えているとでも言いたいのであろう。私たちの測定チームは計測したすべての地点を測定した機器の名称や測定方法も含め公表しているので、線量の高い地点だけを発表しているというのは誤解であるが、そのことをふまえてなお書くならば、人々が暮らしていく上では「線量の高い地点がどこにあるか」ということが決定的に重要な情報なのである。極言すれば、線量の低い地点に注意を喚起する必要はない。福島市内に驚くべき高い放射線量を示す区域があるということそれ自体が重要な情報なのである。

 そのような問題意識で、「地上1メートルで放射線測定」という現実を眺めると、むしろ「何のためにそのような方法を採用しているのか?」という疑問が湧く。

 「平時」における測定方法で「非常時」における測定を続け、それへの「統一」を求め、「正確な数値でなければ公表すべきでない」とまでいう。福島の人々が自分たちの健康や生活を守ろうとして行っている活動を敵視し、いったい何を守ろうとしているのか?


参考:市民放射能測定所
http://www.crms-jpn.com/mrdatafoodcat/

posted by あるじ at 00:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月16日

矛盾の体系

 5月以来、京都精華大の山田國廣さん、細川弘明さん、同志社大の和田喜彦さん、そして福島の住民の方々、福島大学の同僚らと除染作業をしていることはすでに書いた。もとより私は除染の専門家ではないし、放射線も怖い。しかも、体力も気力もないので、どちらかといえば戦力というよりは足手まといに近い。

 とはいっても、現状を放置していては住民の被曝が進むだけである。国も県も避難を助けないし、大学も学生を集めて授業をしている。このような現実がある以上、そして、いくらその現実に異を唱えてもそれを変える力がない以上、被曝を減らすための努力をするしかない。その一つが除染である。

 現状に不安を持っていない人に除染を期待しても無駄である。必要がないと思っているのだから当然だろう。結局、不安を感じる人ばかりが、今そこにある危険を取り除くために、除染に加わっている。そこにいつも矛盾を感じる。

 さて、除染作業をすればするほどわかってきたのは、余計な被曝を避けるためには、やはり可能な人から避難するしかないということである。

 まず、実際の放射線量は発表されているほど低くないし、また、降り注いだ放射性物質の核種すら発表されていないからである。さらに、除染の効果には限界があるためであり、何よりも政府が福島の人々の命や健康を守ろうとしないためである。これに、原子炉がいつまた新たな問題を起こすかもしれないという危惧が加われば、さきのような感想を持つのも仕方がないという気分になる。「放射線の計測」や「核種問題」「政府の対応」については、別の項を立てることにして、ここでは除染についてだけ述べる。

 除染をすれば、その限りで放射線の数値は下がる。しかし、周囲からのガンマ線の影響もあって一定の数値以下にはならない。雨が降れば、余所の放射性物質が流入して元の木阿弥になることもある。だから、誤解を恐れずにいえば、大規模に除染に取り組まない限り、全体としてみれば思ったほどの効果はないといえる。しかも、それぞれの作業はかなりの時間と労力そして財力を必要とする。ときとして、砂漠に水を撒いているような気分になる。これをやりきろうと思えば、強靱な精神力・忍耐をもって臨むほかない。一市民やグループの能力の限界を超えている。

 一部のマスコミは、高圧洗浄の効果を吹聴している。福島市内のとある学校の屋上で、毎時35マイクロ・シーベルトから毎時1.9マイクロ・シーベルトに下がった(地上1センチで測定)と報じられている。私たちの除染グループは、まさにその学校の排水溝で50〜70マイクロ・シーベルトのホットスポットが(新たに)形成されていることを放射線測定の結果、発見した。恐れていたとおりの結果が出たということである。水で流したところで、放射性物質が消えてなくなるわけではない。水が下水道に確実に流れ、処理場でトラップできるという条件がない限り、高圧洗浄は、上記のように放射性物質を移動させ、新たなマイクロ・ホットスポットを作ることにつながる。

 たしかに、水を使っての「除染」は簡単である。穴を掘って埋めなくてもよいし、ほかの道具を買う必要もない。そして何より時間がかからない。だから、「水を使えば楽なのに」という誘惑には毎回駆られる。

 結局、除染作業は「矛盾の体系」である。

 現実的に考えれば、今後、福島県内の除染を大規模に進めようとすれば、洗浄した水やそれを含んだ汚泥をバキュームで吸う方法でしか不可能ではないか、と思う。これは、一緒に除染を続け、福島グループで一番熱心に取り組んでいる深田和秀さんの意見でもある。ただし、そのためには、汚泥から放射性物質を分離させる技術が確立する必要がある。でないと、除染にともなって発生する膨大な量の水や汚泥を管理しきれないからである。しかし、これが簡単にできるなら、汚染水数千トンの処理が新聞のネタになるはずもなく、放射性物質を含んだ汚泥や水の管理は難しい。これを管理しきれなければ、先述のように放射性物質を拡散させることになる。東大アイソトープセンターの児玉龍彦所長が指摘するように、最前線の技術を投入してこの問題を解決できないものであろうか。

 別の問題として、放射性物質の一時保管場所の確保がある。保管場所が確保されないから除染が進まないということにもつながる。しかし、誰しも自分の家の近くにそのようなものを作られては困るから、保管場所の設置は困難を極める。必要だということはわかったとしても、近所にそれを受け入れるというのは別問題である。しかも、「一時」とはいつまでか?これまでの対応を見ていると、その期間がずるずると延びることは容易に想像できる。「原発事故に加えて、その汚染物質の受け入れまで住民に期待するのか?」と言われれば、返す言葉もない。しかし、この合意の難しい問題の解決も、福島の人々に課せられているのが悲しい現実である。

 汚染物質を拡散すべきでないことは、頭ではわかっていても、納得するのは難しい。なぜ福島だけがその問題を引き受けなければならないのか。しかも、福島の人々は、問題を引き起こした原発の電気を使っていたわけでもない。

 結局、いつも同じ結論に達する。

 何かおかしくないか?



posted by あるじ at 22:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月30日

福島大学の連携先

 今月20日、学内外の批判をよそに、福島大学は日本原子力研究開発機構(以下、「機構」と略記)と連携協定を締結した。この「機構」が、どういう組織かは今さら説明の必要もないであろう。

 この協定について、東京新聞・中日新聞は「こちら特報部」で報じられている。
http://heiheihei.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/72812-12b0.html
http://heiheihei.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/72822-25ff.html
(→どなたか存じませんが、写真で記事が掲載されていたので勝手にリンクしています)

 よりによって、見直しが検討されている「もんじゅ」の母体とこの時期に連携協定を締結するとは、機構の延命に積極的に協力するという意図があるか、あるいはあまりに現状を理解していないか、どちらかであろう。どちらであっても、見識ある大学人の態度ではない。

 さきに紹介した新聞記事に「大学が地域住民に背を向けたという印象を決定的に与えた」という指摘は重要である。被曝問題が、全国の人々の関心から消え始め、単に福島の住民だけの問題とされようとしているときに、同時に、地元の大学がどのような対応をするかが注視されているときに、福島大学は上記のような判断をしたのである。原発によってふるさとを失った、あるいは失おうとしている人々の心に、この便りはどのように届いたであろうか。

 こう書くのには理由がある。7月19日に行われた政府交渉の場で、国の担当者は「福島県民もほかの日本国民と等しく、無用の被曝をせずに生活する権利があるか」というごく基本的な質問に対してさえ、言を左右してついに回答しなかったからである。
http://www.youtube.com/watch?v=QTWvkJShk4A

 さきの東京新聞の記事が届けられたころ、知人から下の映像を紹介された。昨日来、ネットを賑わしている児玉龍彦東京大学アイソトープ総合センター長の衆議院厚生労働委員会での参考人説明である。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=41163&media_type=wb&lang=j&spkid=21080&time=01:07:01.4
(質疑の方もぜひ)

 福島大学の学長は、機構との連携の理由について「本学は福島県内唯一の国立大学として地域の環境回復・復旧・復興に向けて大きな責任を負っていると認識しております。しかしながら、本学には放射能・原子力問題に関する専門家が一人もいないというのが現状です」と語っている。
http://www.fukushima-u.ac.jp/guidance/top/topics/h23/110720-kyoutei_genken.html

 しかし、機構はもとより除染のための組織ではない。さきの児玉龍彦氏の映像は、「地域の環境回復・復旧」のためなら、ほかによりよい連携先があったのではないか、と考えさせる。福島に住む人の立場で考え、行動する組織との連携こそが地域に貢献する途ではないか、と。

 内容もさることながら、連携協定締結の手続にも問題があった。この間、あれほど私たちが学内合意を大切にして大学運営を行うように訴え、それに対して、大学当局も限定的ではあるが前向きに回答していた。
http://311fukushima.up.seesaa.net/image/E585ACE9968BE8B3AAE5958FE78AB6E59B9EE7AD94.pdf
http://311fukushima.up.seesaa.net/image/iken.pdf
http://311fukushima.up.seesaa.net/image/kaitou.pdf

 しかし、大学当局は、またしてもトップダウンで連携を決め、評議会にも、教授会にも「報告事項」で下ろしてくるという方法を採った(報告事項であるにもかかわらず、3学部の教授会、評議会ではいずれも異論が噴出したと聞く)。提携当日に教授会報告がなされた学部もあったというから驚く。学内の意思決定手続をバイパスし、役員会で決めて、異論が出ても「報告事項だから」と言って聞かず、最後は「ほかの大学との連携協定も同じ手続だから」と居直る始末である。機構との連携も、「他の大学と同じ」という認識のようだ。

 福島大学は、いつからこんな大学になってしまったのか。



ニュース紹介:これも有名なものです
http://www.youtube.com/watch?v=WowsVF98W7g
http://www.youtube.com/watch?v=j43YVhuBxDc&feature
posted by あるじ at 14:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月09日

見知らぬあなたに

 「刑務所をみればその国の文明度がわかる」といったのは誰であったか。

 福島の現状に引き寄せれば、「原発の作業員をみればその国の文明度がわかる」と言い換えることができるかもしれない。単にレトリックの問題ではなく、処遇の上で、福島第一原発の作業員の方が、受刑者よりもはるかに危険で、非人間的な扱いや使役を受けていることは、ほぼ間違いない。冷却作業の行き詰まりと無関係ではないと思われるが、最近、原発作業員のニュースがすっかり減ってしまった。「原発が安全に冷温停止する」という重大事項の鍵は、現場の働きにかかっているにもかかわらず、である。

 当初の情報では、1日2食(レトルト食品とクラッカー20枚)、防護服のまま狭いコンクリートの上で仮眠、風呂にも入れず、いびきがうるさくて熟睡できないというような話であった。しかも、作業員の大半は震災の被害者でもあるという。過度なストレスと、過酷な作業で衰弱しきった作業員の様子が伝えられた。
http://www.youtube.com/watch?v=8VvYHCqb5aM
http://www.youtube.com/watch?v=sWyqsOcDTrM
http://www.youtube.com/watch?v=Y0449gF8_jc
http://www.youtube.com/watch?v=vtmdTIE7z9Y

 その後、これはどのように改善されているのだろうか。被曝線量が高く、250mSvに引き上げられた限度量でさえもオーバーし、「戦線離脱」する作業員も増えてきたようだ。9人目までは数えていたが、これも現在はどうなっているのか。緊急時には被曝限度を引き上げるという政権である。どこまでも、現場だけの、限定された話とされるのであろうか。

 西日本に住む人にとって、3月11日の震災は、別世界の話だろう。しかし、多くの人の生活は、福島の地と直結している。計画停電は西日本にはほとんど影響を及ぼさないであろうが、原発事故の影響は、電気とは別のところにも深刻な影響を与えている。

 原発事故からしばらくして、日本中の建築現場にユニットバスやエコキュート(ヒートポンプ型電気給湯器)が届かなくなった。原発から20〜30キロ圏に排水トラップ(M社)や減圧弁(D社)の国内シェア90%あるいはそれ以上の工場があったためである。
 一般に、福島県に「工業県」のイメージはないと思われるが、福島県の工業製品の出荷高は、宮城県を凌いで、東北地方第1位である。しかも、今回の、排水トラップや減圧弁のように、国内シェア90%の工場がそこにあったということは、メーカーは違っても同じ工場の、同じ(ような)部品を使ってユニットバスやエコキュートが作られていることを意味する。メーカーを問わず製品の供給が止まったゆえんである。その結果、仮設住宅を建てなければならない段階で、風呂が作れないという、矛盾した事態も発生した。西日本の建築現場からは「なぜウチの現場に風呂が届かないのか」と、各地の営業所にクレームの電話が殺到したと聞く。地震の揺れすら感じない地域の人に、「地震のため」と説明しても、理解を得るのは難しいだろう。

 3月末ころから、タバコの品薄が続き、4月半ばには店頭から姿を消した。これは、全国に6カ所あるJTの工場のうち、福島県の郡山工場と栃木県の宇都宮工場が被災したためである。現在は、出荷が再開され、店頭でその姿を見るようになったが、葉タバコの一大産地は福島原発の西側に広がる地域(田村郡を中心とする)にあり、原材料の調達を考えれば品薄状態の長期化が予想される。郡山には専売公社時代に重要な事務所が置かれたいたが、その前身は三春町にあった。三春の事務所は東北6県(の葉タバコ)を統括する東日本の中心的機能を担っていた。

 福島県が生産の重点を担っている物産はほかにも多いが、そのことは、東京の電気にとどまらず、全国の人々の生活に福島県が大きく関わっていることを意味する。遠い福島で原発事故が起こると、電気が不足し、ユニットバスが届かず、店頭からタバコが消える。そういう関係を、私たちの住むこの社会は、すでに作ってしまっている。だから、「福島の問題」は福島の問題にとどまらない意味を持つのである。全国のそれぞれの地域が、互いに、想像以上に深く関わりあっているという現実は、政府がいくら今回の原発事故を「福島内部の局限された地域の問題」に矮小化しようとしても、中長期的には、問題の広がりを自覚させずにはおかないのである。

 だから、私たちが、全国の人に「福島の現実を自分たちの問題として理解してほしい」と願うのと同じように、福島に住む私たちも、原発の作業員がどのような苦労をしながら日々格闘しているかについて想像力を働かせよう。そうすれば、「作業員」などという一般名詞ではなく、彼らもまた「一人の子煩悩なパパ」であったり、「無口で実直な職人気質の親父」であったり、生身の、一人の人間としてのイメージがわいてくるであろう。そのときに、劣悪な労働環境下でその人々を働かせることを容認できるだろうか。
 想定される反論は、「原発作業員は人数に限りがあるのだから、線量限度を引き上げてでも彼らに働いてもらわなくてはならない」というものである。しかし、多くの人々がそう考えているうちは、おそらくこの問題(原発の冷温停止・汚染水の閉じ込め)は解決しない。なぜなら、その考えによれば、多くの人にとって「別の世界」の問題だからである。作業員全員が線量限度を越え、「劣悪な条件下で作業員を働かせることが人道上、問題なのではないか」という議論が出てきたときに、原子炉を安全に停止させるという重大問題が、はじめて「彼ら」の問題ではなく、「私たち」の問題として自覚されるのだろう。働く人がいなくなっても、原発を止めるという課題は存在し続けるからである。そうなったら、みんなでどうするかを考えるしかない。

 その日が来る前に…と考えるのは、私だけだろうか。

posted by あるじ at 19:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月08日

姉妹都市はどこ?

 6月24日夕方、福島地方裁判所郡山支部に、児童の疎開を求める民事訴訟が提起された(被告は郡山市)。7月5日に、第一回公判が開かれたが、そこで請求が棄却されなかったところをみると、裁判の手続に載ったのだろう。

 学童を疎開させろというのも不思議な裁判であるが、おそらく、学校教育法第40条(中学校の場合は同49条によりこれを準用)に基づいて、区域内に小学校設置が「不可能又は不適当」な場合であることを立証し、「郡山市がほかの自治体に教育事務を委託すること」を獲得目標としているのだろうと考えられる。

 郡山市ばかりが「やり玉」にあがるいわれはないであろうが、郡山市に「もまた」、学校教育を開始した責任はある。むろん、裁判が郡山市それ自体をターゲットとして実施されているとも考えがたい。郡山市との裁判を通じて、現在の文部科学行政の不当性を証明するというのが裁判の戦略であろう。たしかに、この間の文部科学省の対応はひどい。

 裁判の行方は、関心を抱きつつ見守るとして、その後のことは考えておく必要がある。

 「他の自治体に教育事務を委託する」といっても、委託には相手の事情もある。また、どこにでも委託できるものでもない。県内でもすでに「サテライト協力校」方式で学校の移動が実施されているが、裁判が「1mSv/年を超える線量の場所での教育の違法性」を問題にしている以上、福島県内で適地を探すのは難しいのではないか(内部被曝も含めれば絶望的であろう)。

 しかし、方法がないわけではない。たとえば郡山市は、鳥取市、奈良市、久留米市と姉妹都市の提携をしている(オランダのブルメン市は教育事務委託の対象として現実的ではないだろうが)。ここと連絡を取り合って、受け入れをお願いするという方法はあるのではないかと思う。聞いてみなければわからないが、久留米市を除いては、近年に廃校になった学校もあるようだし、可能性はあるだろう。

 県単位では、3.11以降、関西広域連合が東北地方の長期的復興支援を決めているが、その「ペアリング支援」の枠組では、滋賀県と京都府が福島県の支援を担っており、その両県にお願いする方法もある。

 高等学校の場合にも、入学金や編入試験を(一部あるいは全部)免除しての編入を認めている府県がある。災害救助法に基づく措置(福島県は全域がその範囲に指定されている)とあるので、全県の被災者がその対象になる。入学金免除などには、「全壊・半壊」という要件を含む例(栃木県など)もあるが…。

 自治体レベルでの普段の交流が、非常時に役立つこともあるのではないか。



参考までに(本文とは無関係)
http://www.universalsubtitles.org/en/videos/zzyKyq4iiV3r/
posted by あるじ at 22:02| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月04日

緊急声明

 7月3日、FGFの仲間たちと、議論の末、県知事に対して「県民健康管理調査」に関する緊急声明を発表した。
kinkyu_seimei.pdf

 周知のように、この調査は福島県が全県民を対象に実施し、その内部被曝量を推定するものである。その目的は、「原発事故に係る県民の不安の解消、長期にわたる県民の健康管理による安全・安心の確保」だそうで、ご丁寧に「不要な不安を払拭」と繰り返している。
http://www.pref.fukushima.jp/imu/kenkoukanri/20110618_chousagaiyou.pdf

 多くの福島県民は、県が全県民を対象にした「健康調査」を実施すると聞いたとき、「県もやっと重い腰を上げて県民の健康管理のために動きはじめた」と思ったはずである。しかし、はたしてそうだろうか。

 福島「県民健康管理調査」検討委員会の座長は、かの福島県放射線リスク管理アドバイザー、山下俊一氏である。この人物が3月以来県民に何を語ってきたかは、今さら繰り返す必要もないであろうが、一口で要約すれば、彼は、県民に避難の必要はないと言い、「安全だ」を連呼してきた人物である。

 県民の避難を思いとどまらせ、被曝に対する予防をおろそかにしてきた人物が、今度は健康管理調査の実施責任者になるというわけである。「体制の公正さが調査結果の公正さを担保する」という観点からすれば、非常に問題のある人選である。原子力推進組織が除染をし、県民に余計な被曝をさせた人物が健康調査をする…。非常時なら何でも許されるのか?少々驚きを禁じえない。

 現状に照らせば、すでに、福島市在住の子ども10人の調査で、10人全員からセシウム134,137が検出されている。おそらく、これも「ただちには健康に被害のないレベル」として処理されるのであろうが。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110630/t10013893131000.html

 このニュースで、「この量で健康被害があったという報告は、これまでにない。過度に心配せず、ふだんどおりの生活をしてほしい」と語っているのは放射線影響研究所元所長の長瀧重信元理事長である。放射線影響研究所がいかなる組織であるか、彼と山下俊一氏はいかなる関係か、もふまえてこのコメントを聞けば、その狙いとするところがよく理解できるであろう。

 いずれにしても、放射性物質は時間とともに体内から排泄されていく。だから、検査が遅くなればなるほど検出される数値は低下する。問題は、数値が低下し、検出されなくなっても、それが体に影響を及ぼさなかったとはいえないことである。放射線の影響で、傷つき修復されなかったDNAは、その後、細胞を癌化させる恐れがある。しかし、検査時点で放射性物質が検出されなかった場合には、それが放射線の影響であることを証明できない。県の予定では、問診票の配布が8月末、回収後に被曝線量の高そうな人をピックアップしてホールボディカウンター(WBC)で検査とのことである。いったい、それはいつの話か。多くの被験者の数値が「誤差の範囲」になってしまうのではないか。住民の健康への影響をより正確に見極めようという意図があるなら、可能な人から、即座にWBC検査を受け、その費用は県が(当面は)支払うという仕組みにすればよい。時間稼ぎをしている場合ではない。

 それから、今回の調査が「全県民を対象として…」と語っているのも引っかかる。言外には、県が丸抱えで、独占的に調査を実施するということであろう。これは、「県民の健康に関しては、県が一番多くのデータをもっている(=最も権威があり、信頼に足る調査である)」という事態を招く。にもかかわらず、原発事故後の県庁の対応(SPEEDIのデータを公表せず、避難を勧告せず、健康調査をせず…という、一連の不作為)に照らしても、今回の健康調査の使われ方には一抹の不安が残る。原爆やチェルノブイリの際の健康調査の、二の舞にならなければよいが、と。

 現在の体制で、住民の健康を第一にした調査が行われるとは考えにくい(「健康調査」という名の…)。しかも、県民の健康不安を忖度すれば、「調査するな」とはもちろんいえない。こういうダブル・バインドの状況で、緊急声明に名前を連ねたのである。

 いうまでもないが、ここに書いたのは私見であり、ほかのメンバーが合意している内容ではないし、「緊急声明」の公式的解釈でもない。
posted by あるじ at 23:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

除染活動をめぐって

 一ヶ月ぶりのブログ更新である。書くことがなかったわけではない。書く時間がなかったわけでもない。何を書いてよいかわからなかったのである。

 エントロピー学会の山田国廣さん、細川弘明さんたちと、福島のみなさんと一緒に市内の除染活動を実施していることはすでに書いた。来週末もその活動と合流予定である。この活動の影響でかどうかは定かでないが、6月25日から、ようやく県や福島市も重い腰を上げて除染活動に乗り出した。市内3小学校(福島第一、北沢又、金谷川)連日50人体制で動いてる様子が報じられているが、実施協力は文部科学省、東北大学、京都大学、福島大学、原子力研究開発機構等々で、事実上ここが実働部隊であろう。
http://www.jaea.go.jp/jishin/kiji/kiji110624.html

 悩ましいのは、原発を推進してきた組織が除染の中心に座るということである。「原発の専門家は除染の専門家でもあるわけだから、この際、協力していただくのは当然」という意見もあろう。しかし、心情的には釈然としない。誰の生き残りのため作業か、という疑問である。むろん、住民のためなら言うことはないが。

 彼らが実施している「高圧洗浄機」の利用もどうなのか。私たちの除染活動が基本にしているのは、「そこにある放射性物質を、移動させず、そのまま取る」ということである。水で流しても、放射性物質は消えてなくなるわけではない。側溝や下水道、あるいは隣家に流れていくだけである。「その場」からなくなっても、ほかの場所に追いやったに過ぎない。こういう活動は、短期的に小学校の線量は減っても、周辺あるいは近隣の小川、下水管に放射線を拡散させていることであり、長い目で見れば市内全体を視野に入れた除染活動をする際には、阻害要因になりかねない。たとえば、北沢又小学校の裏にはよどんだ水路があり、そこに洗浄水が流れ込んで滞留している。これが新たなホットスポットになる。

 「汚染の拡散や押し付け合い」は避ける必要がある。

 福島大学の高橋副学長は、学内での除染実験のときにしきりにそのこと(水を使った除染の戒め)を強調していたが、今回は何も言わないのであろうか?そういえば、福島大学が学内の除染もしないで、市内の除染に協力しているのも不審である。大学は、6月29日の朝にやっと「U字溝」の除染日程を「発表」したばかりで、グランドの除染はお金がないからめどが立たないとか…。除染して請求しない限り、待っていては予算などつく見込みはほぼないと思うのだが。その一方で、日本原子力研究開発機構との「連携」が教授会で報告された。原子力の推進組織と福島大学が「連携」するなど、思いもよらないことだが、こういう重要な案件も「報告事項」である。「大学間連携と同じ」という認識なのかもしれないが、そういう認識自体が…。書いていて辛くなる。

 原子力推進組織が自ら除染に…というのは、どこかで見た景色である。

 そのことは、次回書こうと思う。




今回紹介する資料
http://jp.wsj.com/Japan/node_258611
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00202518.html
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1132
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110701TokyoPress.pdf
posted by あるじ at 09:17| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月06日

知事への要望書

 本日、福島県知事に宛てて、連名で↓のような要望書を提出することになっている。

youbou.pdf

提出はまだのようだが、もうほかのHPで公開されているので、ここでもそれに倣った。

 50音順だと「あ」が前に来てしまうので考えものだが、この要望書は石田葉月さんのお骨折りによるところが大きい。ほかのメンバーもあれこれ注文を付けて、世に出るまではずいぶんと時間がかかった。ことの重大性と、内容の正確を期すことのバランスをとるのは、難しいところである。10人前後の協力というのが現実的なところかもしれない。

 穏当な内容だと思うが、いかがであろうか。
posted by あるじ at 10:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月31日

自治体の役割

 福島県内の自治体で、独自の動きが出てきた。とくに紹介したいのは、二本松市の三保恵一市長が、全市民へのホールボディカウンターによる放射線量調査を実施すると決めたことである。
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1071
 県外の施設で検査…というのは、「県内では放射線のバックグラウンド値が高すぎて正確な測定ができない」という意味であろうから、そのこと自体が、線量調査実施の必要性を裏付けるものである。しかも、その結果によっては「子ども(の避難)だけでなくて、私は、あらゆる事態に対応できる、即応できる、その準備をしています」ともいう。こういう動きが県内から出てきたことは、非常に嬉しい。
 自分でものを考え、それを住民に説明し、合意を得、実行に移す…ということは、当然のように思われるが、実際には、なかなか大変なことである。彼は、インタビューの中で、噛みしめるようにそのことを語っている。県の健康リスク管理アドバイザーの山下俊一長崎大学教授の発言に触れて、彼は、次のように述べている。
 その(山下氏の講演の)なかで、たいへん気になったことがありました。それは、この放射能について、政府が、国が決めたことについては、それを守っていくのが国民の義務である、という趣旨の話を、何度も強調されておりました…(4分30秒あたり)
 大事なことは、国が、政府が、ということではなくて…国民が、私は、あらゆる判断・行動の基準でなくてはならない…。どう、放射能から市民や県民や国民を守っていくか、ということが問われている…(8分あたり)

参考:
「20mSvという国の基準が出された以上は、我々日本国民は日本政府の指示に従う必要があります」(http://www.veoh.com/watch/v20982386Rr6ppAnz6分あたり)

 これが「自治」というものであろう。三保恵一市長の決断と、このような市長を選んだ二本松市民に敬意を表したい。正直にいうと、原発事故後の県内の自治体の動きには苦々しいものを感じていた。10年ほど前には、三春町の伊藤寛町長(当時)や、矢祭町の根本良一町長(当時)など、全国に名をはせた「自治の担い手」がいた。その個別の政策については言いたいことがないでもないが、少なくとも、国の方針とは別の形で「町の行く末」を描き、全国の注目を集めていた。彼らなら、どのような対応をしたであろうか(三春町では、県内で唯一早い段階でヨウ素剤を住民に配布したと聞くが)。また、本県には、一時的にではあるが、福島原発の運転を認めず、国策に真っ向から対立していた知事がいたことも記憶に新しい。
 事故後、福島県はじめ県内自治体の多くは、政府に「基準を示せ」「早急な対応を」と要求し続けていた。つまり、住民を守る「基準」や、「早急な対応」は、自分たちの問題ではないと考えていたふしがある。自分たちの手に余る問題だったことも事実であろう。しかし、そうであったとしても、原発事故への迅速な対応を期待されていることに変わりはない。
 住民への影響が長期化の様相を呈してきたことも相まって、自治体は、独自の対応を迫られる局面が多くなってきた。郡山市や伊達市では市の負担で、福島市ではボランティアで運動場や園庭の除染が実施された。
http://www.city.koriyama.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=23278
http://www.city.date.fukushima.jp/groups/education/hyodojokyo
 建前や形式で議論すれば、市や個人の負担で除染しなければならない筋合いのものではないが、さりとて子どもたちを放射線から一刻も早く守るためには、やむを得ない処置であったに違いない。文部科学省は、子どもも年間20ミリ・シーベルトまでは放射線を浴びても大丈夫という立場だったからだ。原子力安全委員会が「子どもに20ミリ・シーベルトの基準を適用することは認められない」と発言しても、ついにこのスタンスを変えなかった。
http://www.youtube.com/watch?v=6H7XV5hHPQ4(1分30秒あたり)
 当の郡山市で、土壌を運び込もうとした処理場付近の住民と市の間でトラブルが発生したことは周知のとおりである。郡山市の内部で対立を招いたという事態は、不幸というほかない。どちらも被害者だというのに。ともあれ、「市独自の策として運動場の除染をする」という原郡山市長の英断には敬意を表したい。福島市では、4月中旬以降、保育園の保護者やボランティアなどが、各地で校庭・園庭の除染活動を開始した。作業時に被曝しないようにするためのマニュアルも作られてきている。放射性物質を体に付着させたり吸引したりしないような工夫が必要であるとのことだが、最近では、ホームセンターに不織布でできた使い捨ての作業着(つなぎ)が並ぶようになった。購入する人が増えたからであろう。私も使ってみたが、実に便利である。帽子の部分には紐が、手足の部分にはゴムが付いている。1着300円弱だから、財布にも優しい。むろん、それでもレシートは保管し、あとで汚染者に請求するのが筋ではある。
 5月27日になってようやく、毎時1マイクロ・シーベルト以上の運動場の除染を文部科学省の責任と負担によって実施すると発表されたが、これも、地元の、独自の動きがあったからにほかならない。官房長官の枝野氏は「除去の必要はない」と言っていたのだから。
http://www.youtube.com/watch?v=QjIC0OY1ogY(4分40秒あたり)
 こうしてみると、今回の原発事故の経験は、いくつかの知見を私たちに示している。地方自治体が住民の生活を守るためにできることは案外多いということである。これまでの取組についてはここで繰り返さないが、今後、独自の動きが広がることを期待したい。

 ここからは余談である。削り取った表土の扱いは、今後、問題になると思われるが、一案を提示しておきたい。といっても、これは私が考案したものではない。京都から住民自身で除染を実施するためのプロジェクトで福島に来訪した、エントロピー学会会長の山田國廣さんが主張されている方法である。彼によれば、福島第一原発では、今後、次なる津波の被害を避けるために、延長10kmの堤防を築かなければならないということらしい。この堤防の中の盛り土として、汚染した表土を使えばよいのだという。もちろん、外部に漏れだしては困るので、コンクリートで固める必要があると思われるが、たしかにその工事には大量の土砂が必要になるはずだ。私には技術的に可能なのかどうかはわからないが、専門家のご一考をお願いしたい。
posted by あるじ at 08:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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