2011年04月30日

残留放射能の「基準」はどのように運用されているか

 実は、決められた「基準」がどのように運用されるかという点も、基準そのものの決定にもまして重要である。その理由は、これから示すとおりである。

 3月17日に、厚生労働省は、「放射能汚染された食品」の残留放射線基準の「暫定的」引き上げを実施した。これが、それ以前の20倍とか200倍とか言われている「基準の変更」である。当面、今回はその点については深入りしない。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001558e.html
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001558e-img/2r9852000001559v.pdf

 この翌日(3/18)に、同じ厚生労働省から、上記の変更を受けて、野菜の放射線測定についての通達が出された。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000014tr1-img/2r98520000015is5.pdf
 ここには、「野菜等の試料の前処理に際しては、付着している土、埃等に由来する検出を防ぐため、これらを洗浄除去し、検査に供すること。なお、土、埃等の洗浄除去作業においては、汚染防止の観点から流水で実施するなど十分注意すること」と書かれている。どの程度洗うかまでは示されていないが、これによる「除染」は、かなりの効果をあげたのではないか。各地で「基準値を下回った」と報道される一方で、「直売所の野菜から基準値を上回る放射線が検出された」というニュースが散見されるゆえんである。

 4月4日に、北茨城市で採取されたコウナゴから、1キロ当たり4080ベクレルの「放射性ヨウ素」が検出された。
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/radioactive/news/20110405k0000m040133000c.html
 この件での問題点は2つある。まず、予想に反して「放射性ヨウ素」が検出されたこと、そして次に、4080ベクレルという高濃度であったこと、である。3月17日の「残留放射線基準の『暫定的』引き上げ」の文書(前掲)を見れば明らかなように、「放射性ヨウ素」の項に穀物、魚介は入っていなかった。半減期の比較的短いヨウ素を、魚介・穀物に適用することを想定していなかったためであろう。しかし、実際にはこれが検出されてしまったのである。
 そこで、厚生労働省は急遽、翌日(4/5)に、魚介類中の放射性ヨウ素に関する暫定規制値の取扱いについて、という通達を出した。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000017z1u.html
 これは、巷間で「野菜の基準を魚介に適用するもの」と流布しているが、先述のように、「残留放射線基準の『暫定的』引き上げ」の文書に添付された表(3/17)の「放射性ヨウ素」の項に穀物、魚介が入っていなかったことによる。上記の表の「放射性ヨウ素」の欄に、「魚介類」が書き加えられただけである。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000017z1u-att/2r98520000017z7d.pdf

 さらに、コウナゴの高レベル残留放射能のためであろうか、魚の放射線測定方法(ここでは、4/16神奈川新聞)も考慮されている。
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kanaloco-20110416-1104160012/1.htm
 大きな魚は、表面を予備測定した後、えらやうろこを洗浄。骨や内臓を取り除いた後ミンチ状にして測定機器にかける。もちろん、シラスやコウナゴではこういう方法は採れない。

 野菜は洗浄(除染?)して、魚は洗浄した上に、骨や内臓を取り除いてから測定するということがわかった。「実態に合わせた」とか、「食べる部分だけを調べるため」とか説明しているようである。洗わずに野菜を食べる人がいますか?ということなのであろうが、政府は国民に「野菜は、洗って食べること」を強制することができるものなのかどうか。また、魚の骨や内臓を好んで食べる人もいるかもしれないのである。洗い続ければ「除染」の程度をコントロールでき、調査サンプルと現実に市場に出回る商品との数値に乖離が出ることも考えられるし、現実にそうなっている。最大の問題は、放射線の蓄積されやすい部位を意図的に取り除いて測定しているのではないかという疑念を拭えないことである。

 大気中の放射線量のモニタリングにしても状況は同じである。通常、地表付近と、高さ1〜1.5m付近では、線量が10倍異なるといわれている(地表付近ではベータ線とガンマ線の双方が検出され、上方へ行くほどガンマ線しか検出されないためのようであるが、私自身はそのメカニズムをよく理解していない)。そのことは、自身で測定してみればすぐにわかることであろう。しかし、モニタリング・ポストの高さは場所によってまちまちである。これは、「条件」を統一しないで統計をとっているようなものである。何らかの数値の補正が必要であろう。

 異論が出るかもしれないが、私としては、高さ1〜1.5mのデータだけでなく、地表面のデータも併せて測定した上、併記してほしいと思う。小学校や保育園の校庭・園庭を想定すれば、地表に付着した放射線のチリも、子どもたちが走り回って巻き上げるであろう。転んですりむき、不幸にしてそこから体内に…ということもないではない。土いじりをして、手についた泥を口にすることもあるかもしれない。最悪の事態を想定しながらそれへの対応を考えるのが「危機管理」というものではないか。

 もちろん、この方法(地表面データも併記)だと広い範囲で年間20ミリ・シーベルトを超えるため、これを政府が実施するとは思えない。だから、各地での自主的・自発的な取組が貴重になってくる。私たちもカウンター(線量計)が入手できれば、ぜひデータを公表したいと思っている。
http://fukugenken.e-contents.biz/index
posted by あるじ at 18:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「線量限度」の政治性

 子どもも含む放射線の「線量限度」が年間20ミリ・シーベルトに設定されたことについて、その数値の是非が広く議論されている。この数値の是非については、専門家の議論に待つとして、ここではその基準がどのような状況において決定されていくか、その政治性を検討してみたい。とはいえ、ここで書くことは、おそらく多くの人がすでに「知っている」ことであり、「感じている」ことであるから、確認以上のものではない。また、基準がどのように運用されているかも重要な問題であるが、それはまた別の機会に考えたい。なお、現在は被曝許容量という言い方ではなく「限界値」であることを強調して「線量限度」と呼ぶことを、衆議院の文部科学委員会(27日午後)を見て知った。ちなみにこの委員会は、政府の対応を(その混乱ぶりも)よく伝えていて、興味深い。ぜひご覧になっていただきたい。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php
(「4月27日」「文部科学行政の基本施策に関する件」で検索のこと)

  まず、政府が「20ミリ・シーベルト」の根拠にしているICRP(国際放射線防護委員会)のPublication109「緊急時被ばくの状況における公衆の防護のための助言」は、「委員会の2007年勧告の適用について助言するために作成」され、「2008年10月に委員会により承認」されたものである(ICRP Publ. 109 日本語版・JRIA暫定翻訳版による。なお、ICRPがどのような人たちの構成する組織であるかは、当面、ここでは言及しない)。

http://www.jrias.or.jp/index.cfm/6,15290,76,1,html

 ということは、福島第一原発の事故の3年以上も前に勧告され、2年以上前に公表されていた文書だということである。しかし、今月になるまで、日本政府がこの数値を根拠として「年間20ミリ・シーベルト」を主張したことはなかった。つまり、現在の基準が妥当なら、事故以前から採用されていていいはずであるが、そうはされなかったというのが事実である。昨夜報じられた小佐古敏荘氏の内閣官房参与辞任会見の説明では、これが国内法への取り入れが行われていたことも明らかにされた。しかし、子どもも含む住民への「年間20ミリ・シーベルト」の線量限度はついぞ採用されることはなかった(当然だと私は思うが…)。

http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/200/80519.html

ともあれ、これが、今回の話の前提である。

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 今年(2011年)4月4日、文部科学省は、3月23日正午から4月3日午前11時までの放射線量の積算値が、福島県浪江町(赤宇木)で10.34ミリ・シーベルトとなり、「屋内退避」の目安となる10ミリ・シーベルトを超えたと発表した。ここで重要なのは、この地点が福島第一原発から30キロの距離にあり、「避難区域に含まれていない」という点である。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110404/dst11040412240017-n1.htm

 4月5日に原子力安全委員会は、放射線量の高い地域の住民の年間被曝限度量について、現在の1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げるべきか検討を始めた。

http://www.asahi.com/national/update/0405/TKY201104050616.html?ref=rss

 これについて、枝野官房長官は4月6日午前の記者会見において「原子力安全委が避難の長期化を見据えて年間被曝限度量の引き上げを検討しているが、政府の指示か」との問いに、前段では「報道を拝見したが…」と他人事のように答え、後段では「どれぐらいが、たとえば退避をお願いする場合の基準になるのかということを検討しているという状況だ」と政府自らも検討しているかのようにも答えている。

http://www.asahi.com/politics/update/0406/TKY201104060223_02.html

 同日午後の会見では、のらりくらり答弁する枝野氏に、記者から「確認だが、年間被曝限度量は現行の1ミリシーベルトを20ミリまで引き上げるという話ではない、ということでいいのか」という詰めが入る。そに対し、枝野長官は「まず一つは、何も今決まっているわけではない」と逃げた上で、現況と問題の所在を語るにとどめ、問いに対して正面から答えていない。こういう対応は実にうまい。
 その後の「累積で20ミリシーベルトを超えた場合、避難地域を拡大する方向で検討しているということか」という問いに対しても、そういう数字は確かに出はているが「具体的な数字自体が固まっているわけではない」と強調している。むろん、浪江町の例に照らせば、10ミリ・シーベルト以下の数字で検討することはありえなかったであろうし、そもそも「避難地域になっていない場所の問題を、避難区域を拡大せずに対応する方法」を検討しているのであろうから、避難区域を拡大するはずはない。

http://www.asahi.com/politics/update/0406/TKY201104060551_02.html

 こうした経緯に照らせば、政府の指示かどうかはともかく、4月4日の文部科学省発表を受けて原子力安全委員会の検討がはじまったのは間違いない。
 避難区域外で高レベルの放射線が検出されたときに、2つの対策が考えられる。「避難区域を拡大する」という対策と、「年間被曝限度量を上げる」という対策とである。20ミリ・シーベルトの是非に人々の注目が集まっているが、重要なのは、前者を選択しなかったということである。つまり、住民の健康や安全を守るのではなく、「放射線を受忍せよ」というスタンスで対策がなされたのである。しかも、このときに「距離」から「線量」に何の説明もなくモノサシを変更していることには留意しておきたい。

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 ここまでが、大まかな流れである。しかし、おそらく、避難区域外においても放射線量の高い地域があるという問題には、早い段階で政府も気づいていたはずである。
 たとえば、福島市では3月16日朝から、「通常の500倍」の相当する毎時200マイクロ・シーベルトの放射線が検出され、同日、水道からもヨウ素とセシウムが観測された。福島市は福島第一原発から約60キロの距離で、もちろん避難区域には指定されていない。
 文部科学省も3月21日から福島第一原発から20キロ以遠についてもモニタリングし、その結果を「福島第一原子力発電所の20Km以遠のモニタリング結果について」としてプレス発表しはじめた。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/03/1303998.htm

 3月22日には、米国エネルギー省が、放射線モニタリング・データを発表した。これは、横田基地から飛ばした無人探査機(おそらくグローバルホーク)によって採取されたデータである。このとき、原子炉周辺の鮮明な写真を多く撮影し、公開も許可の上で日本政府に提供したが、政府はこれを公開しなかった。

http://energy.gov/news/10194.htm

 SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)が、その名称とは裏腹に、試算を初めてプレス発表したのは3月23日であった。解説するまでもなく、この「予測」は十分に20キロ圏以遠の危険性を示唆している(なお、SPEEDIは、東京電力からの「放出源情報」を欠いているため、影響予測の最も重要な機能を果たしていないが、政府は東京電力に放出源情報を提出するように「文書で」要請したことは一度もないようだ)。

http://www.nsc.go.jp/info/110323_top_siryo.pdf

 3月25日に、IAEA(国際原子力機関)とFAO(国連食糧農業機関)の合同調査チーム3人が食料汚染の調査のために来日した。その調査の際、福島県飯舘村で検出された放射線が、IAEAの避難基準を超えており、日本政府に避難の検討を勧告したことがあった(4月30日)。

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38904

 ほかにも、証拠はいくつもあるが、この時期に政府が何を検討していたかといえば、住民をどうやって救うかではなく、いかに避難区域を拡大せずにやり過ごすかということであった。折しも、原発事故の賠償が問題になり始めた時期である。
 飯舘村に関しても、福島第一原発から約40キロの距離であることが影響していると思われるが、原子力安全委員会は「日本の方が総合的に判断しており、問題ない」とした。総合的…の内容の吟味は、1.土を5センチまで掘り、混ぜ返して測定する、2.空気中の放射線量の割合、3.空気中のほこりや飲食物に含まれる放射性物質濃度などということらしいが…、こういう測定方法は聞いたことがなく、日本以外では通用しないのではないか。

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110401-OYT1T00786.htm

 枝野官房長官は、記者会見で「直ちにそういった(避難地域を拡大する)性質のものではない」と述べ、IAEAの避難勧告に否定的な見解を示した。

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110331-OYT1T00556.htm

 3月31日、原子力安全・保安院も、「避難の必要性はなく、落ち着いて考えていただいて大丈夫だ」との見解を表明している。避難を考えるのは、落ち着きのない行動であるらしい。いずれにしても、組織的に「火を消す」のに躍起であることはわかる。「避難区域」外は「安全」でなくてはならない…。

http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381949EE1E3E290EA8DE1E3E2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2

 その後、4月6日、飯舘村は独自措置で乳幼児・妊産婦を村外に避難させることを決めた。原発の水蒸気爆発事故から3週間以上も後のことである。

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 こうした経過をたどってみれば、今回の「年間20ミリ・シーベルト」という線量限度についても、一方で内部的な検討を進めながら、他方でその発表の機会を窺っていたであろうと推測される。ことの発端である4月4日の文科省発表の積算値は「3月23日から4月3日」のもので、最も多くの放射線が降り注いだ時期(現在までのところ、ではあるが)を含んでいない。むろん、モニターの設置時期の問題ではあろうが、積極的に上記の事実に言及し注意を喚起しないことには、作為的(不作為的?)なものを感じる。
 ともあれ、政府にとっては、「20ミリ・シーベルト」が定着するまでが正念場である。これが定着すれば、実態に合わない「距離による線引き」を棚上げにできる。あとは「累積線量が高まってきたので…」と個別に対応することになるだろう。距離に基づく避難区域の拡大よりははるかに安上がりであり、「仕分け人」の面目躍如といったところである。

posted by あるじ at 07:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月21日

学童疎開について

まず、このニュースを見てほしい。

http://sankei.jp.msn.com/region/news/110325/hrs11032518220005-n1.htm


*****引用、ここから*****

広島県教委が「学校疎開」160人規模を宮城県に打診
2011.3.25 13:23
 広島県教育委員会は25日、東日本大震災で被災し、授業ができない小学校の児童と教職員の集団疎開を受け入れる支援策を正式に発表した。広島県江田島市の廃校を活用し、計160人程度の受け入れが可能と宮城県教委に連絡した。

 広島県教委によると、受け入れ期間は4〜5月から約1年間。「国立江田島青少年交流の家」で児童と教職員が共同生活し、周辺の廃校2校で授業を行う計画。児童150人、教職員10人程度を想定している。

 広島県安芸高田市でも児童80人程度の受け入れ態勢を整えるほか、ニーズに応じて他の地域でも検討を進める。

 一方、広島県教委は「児童、教職員の家族も含めた受け入れは困難」と説明。「児童が授業を受けられないという状況を回避する受け皿をつくりたい」としている。

*****引用、ここまで*****


 すでに1ヶ月近くも前のニュースである。

 これによれば、さきに言及した学童疎開(4月17日付、「子どもたちを守れ」)を受け入れてくれる地域があるとわかる。広島県江田島市と安芸高田市である。この計画では、児童と教職員が一緒に疎開し、そこに「サテライト教室」ができるということだ。

 なぜ、宮城県に打診しているのかわからないが、津波の被害者を想定しているのであろう。最も急を要する疎開は、原子炉の放射線だと思うのだが、ここでは、1ヶ月ほど前にすでにこういうオファーがあったということを確認しておけば足りる。

 困難ばかりが予想され、なかなか合意を作りにくそうな学童疎開であるが、可能性はあるわけで、こういう機会とネットワークを利用しながらこの難局を乗り切っていくタフさが必要だろう。

 こういう提案(学童疎開)をしている人は案外多い。みんなで力を合わせれば何とか実現できるのではないだろうか。



 学童疎開のイメージであるが、「学校をそのまま移動=集団疎開」という提案は非常に魅力的である。「親とのコミュニケーションがなくなるストレス」や、「友人との絆がなくなる影響」など、疎開にともないがちな否定的な意見を、「先生、友達と一緒」ということが大幅に緩和させるだろうからである。
 問題は、集団疎開の可能性や条件がどの程度あるのか、である。「出す側」の可能性は、「受け入れる側」の条件に依存するから、ここでは受け入れる側の問題を考えてみたい。

 これも、よく言われていることであるが、学校を受け入れるなら学校が受け皿に…ということが原則であろう。集団で移動するからには、寝食(さらには入浴)の場所が必要であり、そこがネックになる。となれば、ホームステイか廃校利用ということになる。

 ホームステイを準備することは、不可能とは全然思わないが、受け入れ側の「重荷」になりそうな気がする。「いかに実現するか」を考えたとき、「荷が重い」ことは、やめるための口実になるので、当面は棚上げして考えることにしたい。もちろん、受け入れ自治体が自発的に考えるのは歓迎できる。

 そういうわけで、廃校利用の寝食という線で考えてみる。
 私は、ある同僚と2人で、2008年に「地域政策課題研究」という授業を担当した。その科目は、「大学院地域特別研究」を受講する大学院生も加わって、演習としては大所帯であったが、バスを借りて調査を実施した。調査対象地は、山形県大蔵村、金山町、大江町の3町村であった。その宿泊に、大蔵村の廃校を利用したことがある。これは、比較的新しい学校を宿泊施設に改造したもので、風呂も炊事場もあり、教室に簡易畳、その上に布団を敷いて寝泊まり…というスタイルで、実に快適であった。ゼミの合宿でも複数回お世話になったが、長期滞在に耐える施設であった。ちなみに、学校建設のために投入されるのは、「ひも付き」のお金だから、これを建設後数年でほかの目的に転用するのは「違法」であるが、くだんの大蔵村の施設は、例の「特区」という制度によって宿泊施設に転用したものであったと記憶している。

 その大蔵村を調査したグループのテーマが「学校統廃合」であった。正確なデータが手許にない(研究室の瓦礫の下から発掘する必要がある)が、「構造改革」以来の財政節減圧力の一つとして、教員給与の負担比率の変更があった。2005(平成17)年度まで、義務教育教員給与の1/2を国、1/2を県が負担していたが、2006(平成18)年度から国が1/3、県が2/3へと変更された(減額分の税源移譲は不明瞭)。そこで、山形県では、県下の小中学校の統廃合を推進し、各地でそれが実施された…という話であった。2008(平成20)年度に大蔵村では、肘折小学校が大蔵小学校に統合され、村内の小学校は1つになった。

 この話をふまえれば、山形県内に近年廃校になった小中学校は多いと思われる。それらの施設がどのように利用可能か(あるいは不可能か)は、現地に問い合わせてみなければわからない。ほかの県がどのような対応をしているかも未調査である。ただし、2006年度以降に学校統廃合を推進した県は、ほかにもあるのではないだろうか。廃校後の施設利用とあわせて、今後調査する必要がある。
 
posted by あるじ at 16:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月19日

フクシマで現在進行している事態

 大地震の発生から一ヶ月以上経って、世は「復興モード」に変わってきたようだ。しかし、福島第一原発では、あいかわらず収束のめどすら立っておらず、フクシマの住民は、原子炉から放出される放射線に晒されながら暮らしている。その意味で、フクシマは、ほかの地域にはない独自の悩みを抱えているといえる。しかも、その相手は目に見えないし、全体像もつかみにくく、いつまで続くかもわからない。
 低レベルの放射線を長期間にわたって浴び続けるということについては、研究途上で、学界でも議論に決着がついていないようである。しかし、それは、現時点で因果関係が「わかっていない」のであって、「ない」ということではない。チェルノブイリの事故と周辺住民の甲状腺癌の関係などに照らせば、低レベルの放射線であっても「浴びる必要(レントゲンなど)がなければ浴びない方がよい」というのが、素人ながらの私の解釈である。
 しかし、周知のように、政府はごく限られた範囲にしか「避難指示」を出さなかった。そればかりか、水素爆発の直後から「ただちに健康に影響を与えるものではない」という不思議な言葉を語り始めた。これは、「急性放射線障害に陥ることはないレベルだ」という以外には何も語っていない(つまり、何も言っていないのと同じである)にもかかわらず、聞く者を妙に安心させてしまう魔法の言葉であった。
 政府が積極的に「避難」を勧めない背景には、事態を沈静化しないと政権を維持できないという政局的な問題と、避難を勧めるとその補償をしなければならないという財政的な問題がある。どちらも、実際に被害が出たときのことを考えれば、些末なことに思われるが、政府としてはそうは考えないのであろう。残念ながら、フクシマの住民は日本全体から見ればマイノリティであり、「フクシマの住民を守れ」という声を多数にするには圧倒的に力が足りない。
 ともあれ、こうした構図が、「避難区域」を都市部に波及させない範囲でとどめている。おそらく、チェルノブイリ事故の際の避難基準(年5ミリ・シーベルトまで)を当てはめれば、いわき市、福島市、郡山市のいずれもが避難区域に指定されるであろう。3市をあわせれば約100万人である。
 避難指示がない以上、会社も学校も「通常業務」に戻るしかなく、通常業務に戻った以上は、基本的に仕事を休むことがでもないという状況を作っていく(本当は、地方自治体の首長が自らの判断で何らかの対処をすることはできたはずだが、こういう局面で「地方自治」を具現化した首長は非常に少なかった。財政的裏付けに不安を残したからであろう)。フクシマを離れられない人は「安心させてほしい」と願い、マスコミはそれに応え「安全だ」と報じている。どこかの学者さんのように、「マスコミは人々が聞きたい話を語るものだ」といえばそれまでだが、自分としてはそこまで第三者的になれず、こうした現状には違和感を禁じえない。
 他方、事態を重く見る人たちは「自主避難」という形でフクシマを離れた。仕事を辞めた人、休暇をとった人、家族だけ実家に帰したという人などさまざまである。「自主的」な避難は、私も経験者であるが、精神的にも、肉体的にも、金銭的にも非常に厳しい。みんな「安全には代えられない」という思いで避難するが、途中で挫折を強いられることも多い。とくに、今後6ヶ月〜9ヶ月などと言われては、絶望的な気分になる。しかも、実際にはその期間で事態が解決するとも思えない。
 避難できない人とて、みんな「安心・安全」を真に受けているわけではない。むしろ、不安を抱えながら生活している人が多いのではないか。それは、現地に、「フクシマに残って頑張った人」と「フクシマから逃げた人」という、住民間の分断があり、避難できない人が、漠然とした不安も手伝って「逃げた人」を嫉むという構図になっていることからもわかる。
 このように、原発問題をめぐる政府の対応は、フクシマの地に放射線障害というハードな問題と、住民内部における複雑で微妙な感情のもつれや対立というソフトな問題とを蓄積しつづけている。しかも、その双方が、長期的な難問としてこの地に残り続けるであろうと予想される。その解決の道程を考えると、暗澹たる気持ちになる。
posted by あるじ at 01:40| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月17日

子どもたちを守れ

 4月10日に、文部科学省が児童生徒の年間被曝許容量を20ミリ・シーベルトとして算定する方針であると報じられた。
 思い起こされるのは、3月15日に原発作業員の被曝許容量を100ミリ・シーベルトから250ミリ・シーベルトに引き上げたときのことである。この変更は、作業員の放射線への耐性が上がったために行われたわけではもちろんない。政府が違法な作業を強制することはできないため、適法に作業を命ずるためには、基準の方を変える必要があったということである。とすれば、この変更が「作業員」と「政府」の、どちらを守るためのものであったかは自ずと明らかであろう。
 福島県内の小中高校では、多くの父母たちの危惧をよそに、校庭の放射線量測定に先だって入学式・始業式を行い、授業を再開した。授業を開始した以上、それが正当な判断であったことが示される必要がある。今回の動きはそれに対応するものであろうと考えられる。
 このように、「基準」なるものは、残念ながら、現実から逆算して設定され、現状を追認していくものだというのが実態である。そのことは、野菜の汚染残留量基準の引き上げなどをみても明らかであろう。そもそも、事態の進行とともに緩和されるなら、何のための基準なのか。この期に及んで、「基準を守れば安全である」などと考えるのは、お人好しであるだけでなく愚かではないか。
 現時点で明らかなのは、地震をコントロールすることも、原発をコントロールすることもできていない、ということである。この一ヶ月で震度4以上の余震だけで100回以上続き、信じたくはないが、今後もM8級の地震がさきの震源域の東側で発生する可能性が高いと予測されている。他方で、未だ原発をコントロールすることにも成功していない。壊れた原子炉は日々、放射線を大気中や海中に放出し続け、収束のめども立っていない。
 「用心するに越したことはない」というならわかる。しかし、テレビでは連日、専門家なる人たちが「安全である」を繰り返している。マスクもせずに街中を歩く子どもも多い。ここまでくると、犯罪ではないかとさえ思う。福島の子どもたちは実験用モルモットではない。
 仕事など事情があって福島の地を離れられない親もいよう。また、愛する郷土を見捨てられないということもある。しかし、こうした「個人の事情」や「郷土愛」も、冷静に考えれば、原発からの放射線が安全かどうかとは何の関係もない。
 各家庭の状況に勘案しながら、学童の集団疎開でも個別疎開でも考えた方がよいのではないか、と私は思う。もちろん、「大げさ」とか「コストがかかりすぎる」などの反応が出るであろうことは予想できる。「家族と離れるストレスの方が有害」と説明する向きもあろう。しかし、すでにベストな選択などありえない以上、どちらを犠牲にする方が「まし」かを考えるほかない。つまり、求められているのは、何を最優先させどのような対応をとるか、を決定することであって、「できない」あるいは「やらない」理由を探すことではない。
posted by あるじ at 12:08| Comment(5) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

原発事故をめぐって〜権力的な物言い

原発事故や放射線の話を書こうとしても、素人同然だから、専門的なことは書けない。

しかも、ラジオでは(テレビでも?)専門家といわれる人が「正確な知識があれば、放射能は安全」などと繰り返し、言外に「素人は黙っていろ」とプレッシャーをかける。

しかし、「正確な知識」などというものがあると仮定しても、であれば、なぜ今回のような事態が起こるのか、ちゃんと教えてもらっていないような気がする。

そもそも、現在、福島第一原発で何が起こっているのか、よくわからない。

意図的に、だと思うが、断片的な情報しか発表されない。とはいえ、「状況証拠」を集めて、巨象に立ち向かってみたい。断片的な情報だけ集めても、事態がそうとう深刻であることだけは明らかなのだから。
posted by あるじ at 11:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

はじめに

 ブログをはじめるには、かなりの決心が必要だった。これまで、読まれない論文なら何本か書いたが、その気になれば誰でも読むことのできる場所に書くのは、なかなかしんどい。いろんな読み手を想定し書き方を考えていると、それだけでうんざりして先に進めなくなる。
 ただ、そういっていると何もできなくなるから、思いつくままに書くことにした。
posted by あるじ at 11:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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